日本歴史地名大系 「南中村」の解説 南中村みなみなかむら 千葉県:香取郡多古町南中村[現在地名]多古町南中南並木(みなみなみき)村の北、多古村の東に位置し、栗山(くりやま)川と借当(かりあて)川によって囲まれた丘陵地帯に立地する。中世は中村郷に含まれた。元禄一一年(一六九八)の検地帳(多古町史)によると、高八一二石余・反別一一三町八反余。しかし元禄郷帳では高五三七石余。同一三年頃の下総国各村級分では幕府領・旗本松平(のち多古藩)領のほか、日本(にちほん)寺領・北中村浄妙(じようみよう)寺領がある。 南中村みなみなかむら 和歌山県:那賀郡打田町南中村[現在地名]打田町南中北中(きたなか)村の南に位置し、東は海神(うながみ)川を境に新(しん)村、西は豊田(とよだ)村、村域南端を淡島街道が通る。中世は池田(いけだ)庄中村の地で、その南半にあたる。慶長検地高目録では村高六〇二石余、小物成一斗二升五合。池田組に属し、元禄二年(一六八九)の池田組指出帳(田中家文書)は、田方五八五・七六五石(三三町六反余)、畠方一七・四七五石(一町一反余)、家数四六、人数二一〇、馬六、牛一八を記す。また文化四年(一八〇七)の池田組大指出帳写(黒山家文書)では、家数五五で内訳は庄屋・あるき各一、肝煎・寺各二、本役二〇、半役一四、無役一五、人数一六八、池二(芦池・皿池)。 南中村みなみなかむら 長野県:松本市島内地区南中村[現在地名]松本市島内 南中天正検地の頃は犬飼(いぬかい)村といわれ一千五〇〇石余の村の一部を構成した。元禄一五年(一七〇二)に初めて南中村五五石四斗六合の記載がある。「信府統記」に「御朱印高五拾五石四升六合」とあり、享保九年(一七二四)当時の石高は一八九石八斗三升七合二勺である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by