日本歴史地名大系 「南之郷村」の解説 南之郷村みなみのごうむら 鹿児島県:曾於郡末吉町南之郷村[現在地名]末吉町南之郷二之方(にのかた)村の東、中央部を西流する大淀(おおよど)川および東部を縦断して南流する安楽(あんらく)川の各上流域に立地する山間集落。南郷村とも記される。村域の東部は山岳地帯で、大八重(おおやえ)山・潮鶴(しおづる)山・宮田(みやだ)峰などが連なる。また大淀川の流域を中心とする原野は檍原(あわきがはら)とよばれ、記紀神話の舞台となっている。中世は日向国南郷のうちで、近世は末吉郷七ヵ村の一つ。慶長(一五九六―一六一五)以前は大裏(おおうら)村(大浦村)・中裏(なかうら)村(中浦村)・小裏(こうら)村(小浦村)に分れていた。慶長六年四月の島津忠長外三名連署加増目録(旧記雑録)に「日州諸県之郡 末吉 南郷村」とみえ、村内の高五〇〇石余が土持氏に加増されている。 南之郷村みなみのごうむら 三重県:桑名郡多度町南之郷村[現在地名]多度町南之郷大鳥居(おおどりい)村の北、肱江(ひじえ)・多度の両河川が揖斐(いび)川に注ぐ所の南にある堤防上の集落。明治三〇年(一八九七)以降の河川敷拡張工事のため、民家の移転数一〇戸、田地の失地二二町歩に上った(多度町史)。西の枝郷の名江(なごう)村は元禄郷帳では分記されているが、その後は南之郷村に含まれている。当地に城砦を築いた阿部民部の子孫が代々庄屋を勤めていたが(勢桑見聞略志)、明治初年堤防改修により水没するため、北海道へ屯田兵として移住した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by