日本歴史地名大系 「南千反畑町」の解説
南千反畑町
みなみせんだんばたまち
北は東西の
元禄四年の大火を契機として、南千反畑町は北側と西側を両広丁で区画された。そのほぼ中央を東の白川から建丁が走る。北千反畑町の通りの延長として、南北通りが約三二間の間隔で四本走る。また建丁通から白川沿いに南に走る小路があり、木庭丁と称した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
北は東西の
元禄四年の大火を契機として、南千反畑町は北側と西側を両広丁で区画された。そのほぼ中央を東の白川から建丁が走る。北千反畑町の通りの延長として、南北通りが約三二間の間隔で四本走る。また建丁通から白川沿いに南に走る小路があり、木庭丁と称した。
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