日本歴史地名大系 「南松院」の解説 南松院なんしよういん 山梨県:南巨摩郡身延町下山村南松院[現在地名]身延町下山粟倉(あわぐら)山の東麓、一宮賀茂神社の北に位置する。正福寿山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は釈迦如来。「甲斐国志」および「寺記」によると、永禄九年(一五六六)穴山信君が亡母(南松院殿葵庵理誠尼)の菩提寺として天輪(てんねん)寺の住持桃隠正寿を開山に迎えて創建した。同一二年八月一〇日、桃隠は信君同意のもと明院祖芳を南松院二代住持と定めた(「南松院桃隠書状」南松院文書、以下断りのない限り同文書)。同年一一月二一日桃隠が死去し、元亀元年(一五七〇)二月明院は甲府円光(えんこう)院開山説三を後継者とした。そのため創建当初の鎌倉建長寺派から天正三年(一五七五)九月京都妙心寺派へと転じた(以上「寺記」)。「身延町誌」によれば、文和―応永年間(一三五二―一四二八)には寺地は現身延町増野(ますの)山の麓にあり、南松院平という地名が残る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by