一宮賀茂神社
いちのみやかもじんじや
粟倉山の東麓に鎮座する。祭神は天津彦火瓊瓊杵尊。旧郷社。下山一宮を称する。「甲斐国志」に「上賀茂ナリ、一ノ宮ト称ス」とある。勧請の時期は不明だが、二宮(下賀茂神社)・三宮(飯縄神社)が付近に存在することなどから、下山に本拠を構えた在地領主による計画的な勧請・配置が想定され、勧請を行ったのは南部(現南部町)から居館を下山に移したとみられる穴山信友か、それ以後の穴山氏の当主と考えられる。当社を鎮守とする番匠小路・中町は、穴山信友・信君・勝千代三代によって整備された城下町の名残である(甲斐国志)。天文一一年(一五四二)正月一日の穴山信友判物(一宮賀茂神社文書)によると、信友は嫡子勝千代(信君)の祈祷のため岩間(現六郷町)にあった惣領分の所領二反を神田として寄進している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 