田舎館村
いなかだてむら
[現在地名]田舎館村田舎館
弘前と黒石を結ぶ街道に沿い、北に広がる水田との比高三―四メートル。東は垂柳村、西は畑中村に続き、北は八反田村、南は尾上村(現尾上町)に水田を隔てて接する。
建武四年(一三三七)七月日の曾我貞光申状案(遠野南部文書)によれば、建武三年六月二一日「田舎楯合戦之時 若党矢木弥二郎光泰仕分捕候了 同矢木太郎光俊右肩被射通候了」とあり、南北朝の動乱期に合戦があった。田舎館には鎌倉・南北朝期には工藤氏がいたと思われるが、建武三年当時の状況は不明。天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「鄙館」とある。「永禄日記」元亀二年(一五七一)三月に「田舎館千徳殿病死之由承候。名は左近太郎と申候」とある。田舎館の千徳氏は、戦国時代に南部氏一門である浅瀬石(現黒石市)の千徳氏から分家したという。
田舎館村
いなかだてむら
面積:二二・〇一平方キロ
津軽平野の中央部に位置し、中央部を東西に流れる浅瀬石川と西部を南北に流れる平川に挟まれ、東は黒石市、西は弘前市・藤崎町、南は尾上町、北は常盤村に接する。平均標高三〇メートルで、東から西へ漸次標高は低下している。土地は地味肥沃で、米・林檎・蔬菜などの作付に適する屈指の米産地。林檎園は浅瀬石川および平川の沿岸に多い。
田舎館の地名は、蝦夷地の中央のために「夷中」といわれたという説と、稲作の中心地で「稲架」「稲家」といわれたという説とがある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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田舎館〔村〕
いなかだて
青森県西部,津軽平野南部の村。 1889年豊蒔 (とよまき) ,大根子 (おおねこ) ,諏訪堂 (すわどう) ,大曲 (おおまがり) ,畑中,八反田 (はったんだ) ,垂柳 (たれやなぎ) ,枝川,高樋 (たかひ) ,十二川原 (じゅうにかわら) の 10村と合体。さらに 1955年光田寺 (こうでんじ) 村と合体。米が中心であるが,養豚,野菜栽培も行う。弥生時代の水田跡で知られる垂柳遺跡は,史跡に指定されている。面積 22.35km2。人口 7326(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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