日本歴史地名大系 「田舎館村」の解説
田舎館村
いなかだてむら
弘前と黒石を結ぶ街道に沿い、北に広がる水田との比高三―四メートル。東は
建武四年(一三三七)七月日の曾我貞光申状案(遠野南部文書)によれば、建武三年六月二一日「田舎楯合戦之時 若党矢木弥二郎光泰仕分捕候了 同矢木太郎光俊右肩被射通候了」とあり、南北朝の動乱期に合戦があった。田舎館には鎌倉・南北朝期には工藤氏がいたと思われるが、建武三年当時の状況は不明。天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「
田舎館村
いなかだてむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報