朝日日本歴史人物事典 「南淵年名」の解説
南淵年名
生年:大同2(807)
平安初期の公卿。因幡守永河の子。弘仁14(823)年,坂田の姓を南淵に改めている。筑前,尾張などの国守や左右大弁などを歴任し,貞観10(868)年中納言に任じられた。『貞観格』『貞観式』など法制の整備や『文徳実録』の編纂に従事するとともに,応天門の変(866)に際しては伴善男を尋問するなど,実務面での活躍も目立つ。聡明で器量人であったといい,職務には常に清幹をもって対処したというのが『三代実録』での人物評。同18年12月大納言となったが病に倒れ,4カ月後,子の良臣を使者として致仕を願い出,当日没した。
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報