日本大百科全書(ニッポニカ) 「南蛮具足」の意味・わかりやすい解説
南蛮具足
なんばんぐそく
ポルトガル、イスパニア(スペイン)など当時南蛮とよばれた諸国や、紅毛(こうもう)とよばれたオランダとの交易を通じて、室町末期ごろより近世にかけて輸入された西洋の甲冑(かっちゅう)で、これをわが国では「南蛮具足」と称した。小札(こざね)製を基調とする日本の中世甲冑と異なり、鉄板を打ち出し、表面を平滑に磨き、装飾としては、金銀象眼(ぞうがん)を施し、あるいは文様を打ち出した。胴は前後の2枚に分かれ、前正面に鎬(しのぎ)を高く立て、草摺(くさずり)は鉸具(かこ)を用いて取り付ける。兜(かぶと)も鉄板製で、天辺(てへん)がとがり、前後に鎬がつき下部に眉庇(まびさし)が設けられる。
同じころに渡来した鉄砲や古来の槍(やり)・矢などに対する防護力に優れているところから、これに和式の(しころ)や草摺を取り付けた和洋折衷式とし、さらに小具足を皆具(かいぐ)して、一部の上級武士に賞用された。遺物は日光東照宮(とうしょうぐう)、和歌山東照宮などの伝来品が著名である。南蛮具足は、おりから発生した当世具足の形成にも多大の影響を及ぼして、鉄板製の金胴(かなどう)や、鉄地の表面に人工的な発錆(はっせい)処理を施した金錆地(かなさびじ)の流行をみるとともに、桃形兜(ももなりかぶと)や鉄打出しの形兜がつくられ、縄目(なわめ)覆輪や八重(やえ)鎖・からくり鎖という南蛮鎖の使用、あるいは草摺を取り外し自由にした腰革付(こしかわづけ)という装置のくふうなども南蛮具足の影響と考えられる。さらに南蛮具足を模範として、わが国の具足師が製作した和製南蛮胴具足とも称すべき甲冑を生じた。
[山岸素夫]