日本歴史地名大系 「南風泊」の解説 南風泊はえどまり 長崎県:上県郡上対馬町一重村南風泊中世よりみえる伊奈(いな)郡内の浦で、一重(ひとえ)の南風泊に比定される。応永八年(一四〇一)一〇月一五日の宗貞茂書下(馬廻判物帳)に「対馬島内早留浦」とみえ、伊奈郷の小宮将監が当浦の代官職を得ている。同一一年の浦公事足百姓注文(小宮家文書)に「はいとまりのうら」とみえ、浦公事の負担者のなかに「ひこ五郎わいな百しやうにて、女はうわかつきめの百しやう」とあるので、潜女がいたことが知られる。小宮氏は同二八年に「はやとまり」代官職を預けられ(同年一二月二三日「宗貞盛預け状」同文書)、同三一年には「はやとまりのかつきめ」の公事催促が命じられている(同年正月二三日「宗貞盛書状」馬廻判物帳など)。 南風泊はえどどまり 山口県:下関市引島南風泊[現在地名]下関市彦島西山町四丁目彦(ひこ)島の西端にあり、渡瀬(わたせ)と竹(たけ)ノ子(こ)島に囲まれた小港。帆船時代、南風を避けるのに天然の良港であったことから出た地名。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by