室町中期の神道家。吉田(よしだ)神道の大成者。吉田氏を称す。代々の神祇(じんぎ)官僚家の神祇権大副(ごんのたいふ)兼名(かねな)の子として誕生。初名は兼敏(かねとし)。1467年(文正2)1月に正四位上に叙せられたとき兼倶と改めた。この年、侍従、神祇権大副に任ぜられ、以後しだいに頭角を現した。まず、それまでの神仏習合思想などに対して神道至上主義、日本中心主義の元本宗源(げんぽんそうげん)神道(唯一(ゆいいつ)神道、吉田神道)を唱え、『神道大意』『唯一神道名法要集』『神道由来記』などの著で、神道神学を新たに樹立した。1480年(文明12)後土御門(ごつちみかど)天皇のために『日本書紀』を講書初めの儀で講じ、これより朝廷、公家(くげ)に近づき、さらに将軍足利義尚(あしかがよしひさ)にも『日本書紀』を講じた。また京都神楽岡(かぐらおか)の吉田神社内に斎場所を設け、1489年(延徳1)伊勢(いせ)の神宮がそこへ飛来したと密奏し、神宮側より非難されたが、さらに吉田神道の根本殿堂として大元宮(だいげんきゅう)を設けた。一方、宗源行事など新たな神道的行事を始めて、一般大衆をも支配するに至り、中臣祓(なかとみのはらえ)のほか、三種大祓、六根清浄祓(ろっこんしょうじょうはらえ)などを唱えて広く教化活動にあたった。1493年(明応2)神祇大副となったが、それとは別に神祇管領長上と称し、全国の神社また神職を支配し、江戸末期に至るまでの吉田家の基礎を確立した。永正(えいしょう)8年2月19日没。
[鎌田純一 2017年10月19日]
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