なかとみ‐の‐はらえ ‥はらへ【中臣祓】
〘名〙
宮内で六月・一二月の
晦日(つごもり)、および
臨時に、罪けがれを清めるために行なった
神事。また、その時の祓のことば。中臣氏が
代々つかさどっていたところからいう。
大祓(おおはらえ)。
なかとみのはらい。なかとみばらい。
※
古語拾遺(嘉祿本訓)(807)「国罪は、
国中の
人民(をほふたから)の犯せる罪なり。其の事具に中臣禊
(ハラヘ)の詞に在り」
なかとみ‐ばらい ‥ばらひ【中臣祓】
※
談義本・教訓乗合船(1771)二「犬の糞踏にじりて、中臣祓
(ナカトミハライ)は、恐れおそるべし」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
中臣祓 (なかとみのはらえ)
大祓詞(おおはらえのことば)のことで,中臣氏がこれを宣(の)るのを代々の業としたため,この名がある。中臣祭文(なかとみのさいもん)などともいった。ただし一般に大祓詞といえば,大祓の参集者に読み聞かせるものをいい,中臣祓といった場合は神前で奏上する形式に改められたものをいう。毎年6月,12月の晦日に行われる大祓には百官男女を祓所に聚集し,中臣は祓詞を宣り,卜部は解除を為(せ)よと定められていた。作者,製作年代はつまびらかでなく,一説に天智天皇の世に中臣金(くがね)が献じ,二季の大祓に用いたともいう。平安時代に用いられたものは,《延喜式》に収載されている。内容は〈皇親神漏岐(すめむつかぶろぎ)・神漏美(かむろみ)〉の命,すなわち遠い祖先の言葉として宣言されていて,国のあり方や人間のあり方にまで言及する。そのため,古来神道家や神道学者にひじょうに重んぜられ,その注釈書は大変な数にのぼる。これを集大成したものに《大祓詞註釈大成》(1935)がある。
執筆者:茂木 貞純
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中臣祓【なかとみのはらえ】
毎年6月と12月に朝廷で催された大祓の祝詞(のりと)。代々中臣氏が司る役目なのでこう呼んだ。《延喜式》巻8所収。神道教説の枢要として,神道学者や国学者からきわめて重視され,中世の両部神道系の《中臣祓訓解(なかとみのはらえくんげ)》をはじめとして,近代に至るまで膨大な注釈書が書かれた。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
中臣祓
なかとみのはらえ
6,12月の晦日に朝廷で行う大祓およびその祓詞 (はらえことば) の別称。中臣氏が司っていたので,こう呼ばれるようになった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報