卜部兼方(読み)うらべかねかた

日本大百科全書(ニッポニカ) 「卜部兼方」の意味・わかりやすい解説

卜部兼方
うらべかねかた

生没年不詳。鎌倉中期の古典学者。懐賢(かねかた)とも記す。卜部家は、もと神祇官(じんぎかん)の下級官僚家の一つであったが、しだいにその地位を固め、また古典伝承の家としても知られていた。神祇権大副(ごんのたいふ)兼文(かねふみ)(生没年不詳)の子であり、彼も神祇権大副まで昇進した。彼の著『釈日本紀(しゃくにほんぎ)』28巻は『日本書紀』註釈(ちゅうしゃく)書の初期に属する大著であり、なかに、平安初期に天皇の前で講じた諸博士の講義録ともいうべき『日本紀私記』や、家説として伝承された説を記しており、『日本書紀』研究史上の重要な書である(『新訂増補国史大系8』所収)。この『釈日本紀』は1274年(文永11)より1301年(正安3)ごろまでに成立したものとみられている。

[鎌田純一 2017年10月19日]

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朝日日本歴史人物事典 「卜部兼方」の解説

卜部兼方

生年:生没年不詳
鎌倉後期に神祇官に仕えた官人。中世古典研究における代表的学者のひとり。懐賢ともいう。平野社預の卜部家において兼文の子として生まれ,神祇権大副,正四位下となる。『日本書紀』神代巻書写(自筆本現存)したのち,『釈日本紀』を著した。文永・建治年間(1264~78),父の兼文が,一条実経とその子家経から『日本書紀』の解釈についての質疑を受けたため,同書の講筵を行った。兼方は『釈日本紀』の中に「先師」の説として,その時の兼文の発言をとりいれているが,その内容は神代巻に集中しており,卜部家の家学としての神代巻研究の成熟度が知られる。それらを大成したのが兼方の『釈日本紀』である。内容は実証的で,その後に思想的色彩を強めていく卜部家学の基盤を培ったものといえる。<著作>『国宝卜部兼方自筆日本書紀神代巻』(複製),尊経閣本『釈日本紀』(複製),『釈日本紀』(新訂増補国史大系8)

(白山芳太郎)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「卜部兼方」の解説

卜部兼方
うらべのかねかた

名は「やすかた」とも。懐賢とも。生没年不詳。鎌倉中期の学者・神道家。神祇権大副(ごんのたいふ)・山城守に任じられる。兼文(かねふみ)の子。「日本書紀」の注釈書「釈日本紀」の著述で知られる。父兼文が「日本書紀」神代巻を講述したものを基礎とし,私記や古典を多く参照して編集,私記などの逸文を今日に伝える。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「卜部兼方」の解説

卜部兼方 うらべ-かねかた

?-? 鎌倉時代の神道家。
卜部兼文の子。弘安(こうあん)-嘉元(かげん)(1278-1306)ごろの人。神祇権大副(じんぎのごんのたいふ)兼山城守(かみ)。「日本書紀」の注釈書「釈日本紀」を編集した。名は懐賢ともかく。

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旺文社日本史事典 三訂版 「卜部兼方」の解説

卜部兼方
うらべかねかた

生没年不詳
鎌倉中期の古典学者・神道家
名は「懐賢」とも書く。京都平野神社の神官で,卜部氏歴代中最も著名。著書『釈日本紀』はこれまでの『日本書紀』研究を集大成したもの。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「卜部兼方」の意味・わかりやすい解説

卜部兼方
うらべかねかた

鎌倉時代中期頃の神道学者。平野神社神官。神祇権大副。著書『釈日本紀』は奈良,平安時代の『日本書紀』注釈の集大成である。

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世界大百科事典(旧版)内の卜部兼方の言及

【釈日本紀】より

…鎌倉時代に書かれた《日本書紀》の注釈書。著者は卜部(うらべ)兼方(懐賢)。28巻。…

※「卜部兼方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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