日本大百科全書(ニッポニカ) 「原理日本社」の意味・わかりやすい解説
原理日本社
げんりにほんしゃ
1925年(大正14)11月、狂信的な国粋主義者蓑田胸喜(みのだむねき)が創立した超国家主義団体。前身は「人生と表現社」。皇道歌人三井甲之(みついこうし)、東京帝国大学教授高田真治(しんじ)、九州帝国大学助教授佐藤通次などが同人。機関誌『原理日本』を発行。同年司法大臣小川平吉らが創刊した『日本新聞』と密接に提携して、帝国大学、とくに東京、京都の進歩的・自由主義的教授の思想・学説を狂的に論難、著書の発禁、追放、処罰を要求した。33年(昭和8)の滝川事件、35年の天皇機関説排撃の導火線となり、国体明徴運動を展開したほか、河上肇(はじめ)、津田左右吉(そうきち)、河合栄治郎(かわいえいじろう)、矢内原忠雄(やないはらただお)、西田幾多郎(きたろう)、末弘厳太郎(すえひろいずたろう)など、被害を受けた教授は数十人に上った。
[大野達三]