大正・昭和時代の社会思想家、民主社会主義者。明治24年2月13日東京に生まれる。1915年(大正4)東京帝国大学法科を卒業し、農商務省に入り、工場法案研究のためアメリカに留学。帰国後、19年、第1回国際労働会議の日本政府方針案起草に従事したが、上司と意見が対立して辞任した。翌年東大助教授に就任。22年から3年間イギリスに留学し、オックスフォード大学などで学んだ。26年東大教授となり、社会政策、工業政策などを担当。T・H・グリーンの理想主義哲学やイギリス労働党流の社会主義の強い影響を受け、人格主義的倫理観を基礎においた独自の社会主義体系を構想し、政治的には自由主義を、経済的には社会主義を主張した。そしてその実現のためにはあくまで議会主義によるべきだとした。この立場から昭和初年のマルクス主義全盛期にはこれを批判し、大森義太郎(よしたろう)、向坂逸郎(さきさかいつろう)ら労農派マルクス主義者と論争した。国内のファッショ化が進むとファシズム批判を展開し、34年(昭和9)前後から論壇の花形的存在となった。学内でも土方成美(ひじかたせいび)教授らと対立した。このため右翼、軍部、文部省の圧迫が激しくなり、38年10月、著書『ファシズム批判』(1934)、『改訂社会政策原理』(1935)、『時局と自由主義』(1937)、『第二学生生活』(1937)が発禁処分とされ、翌39年1月には平賀譲(ひらがゆずる)東大総長の河合、土方両派を処分するといういわゆる「平賀粛学」によって休職となり、さらに2月には出版法違反で起訴された。法廷闘争を展開して大審院まで争ったが、43年罰金刑が確定した。太平洋戦争中はいっさいの文筆活動を禁止され、戦後に備えていたが、昭和19年2月15日急病で没した。著書には前記のほか『トーマス・ヒル・グリーンの思想体系』(1930)、『社会思想家評伝』(1936)、『学生に与う』(1940)などがある。その思想は戦後の社会思想研究会、民主社会主義研究会議に大きな影響を与えている。
[吉見義明]
『社会思想研究会編『河合栄治郎全集』23巻・別巻1巻(1967~70・社会思想社)』
民主的社会主義の思想家。東京に生まれ,東大法科政治学科卒業後農商務省に勤めたが,工場法草案起草につき上司と意見が対立し1920年辞職,ただちに東大経済学部に迎えられ,社会政策を講義した。22-25年イギリスに留学,32-33年にはドイツに留学してナチスの台頭を目のあたりにした。昭和初期,マルクス主義が隆盛になるや,理想主義の立場からこれを批判したが,満州事変後国家主義の台頭に際しては同じ立場からこれを批判した。とくに二・二六事件のときは軍部を攻撃し,東大内では国家主義的革新派教授と大学自治の問題で争った。その結果,38年著書の若干が発売禁止になり,翌39年休職処分となり,起訴された。結局43年に大審院で罰金刑が確定した(河合事件)。戦時中沈黙を強いられたまま病気で急死した。イギリス留学中T.H.グリーンを研究し,理想主義哲学の上に独自の社会思想を樹立した。すなわち,カント的認識論の上に人格成長を最高善とする道徳哲学を説き,人格成長の条件として政治的には自由民主主義,経済的には社会主義を主張した。一方で青年の教育にも情熱を傾け,昭和10年代彼が編集した《学生と教養》をはじめとする学生叢書は当時の青年に多くの感銘を与えた。主著《社会政策原理》(1931),《トーマス・ヒル・グリーンの思想体系》(1930),《社会思想家評伝》(1936)。《河合栄治郎全集》23巻がある。
執筆者:関 嘉彦
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大正・昭和期の社会思想家,経済学者 東京帝国大学教授。
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1891.2.13~1944.2.15
大正・昭和前期の経済学者・自由主義思想家。東京都出身。東大卒。農商務省に入るが辞職し,1920年(大正9)東京帝国大学経済学部助教授となり,のち教授。経済学史・社会政策を担当した。理想主義的リベラリズムとフェビアン的社会主義の立場から,マルクス主義とファシズムの両方に反対した。そのため弾圧をうけ,39年(昭和14)には平賀粛学によって休職に追いこまれた(河合栄治郎事件)。著書「労働問題研究」「社会思想史研究」「トーマス・ヒル・グリーンの思想体系」「社会政策原理」「社会思想家評伝」。
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…それゆえ当時の思想状況から,社会思想は社会主義思想と無政府主義思想を意味する場合が多かった。やがて社会思想といえば社会主義思想だけを意味するようになったが,昭和にはいると,社会科学と区別するために,理想社会の概念を前提とする社会把握を社会思想と呼ぶ河合栄治郎らがあらわれた。社会主義思想が危険思想とみなされるようになると,社会主義を批判する思想が社会思想と呼ばれるようになる。…
…前者の系統からやがて,《世界文化》(1935年2月創刊),《土曜日》(1936年7月創刊)などによる関西知識人の反ファシズム文化運動が生まれ,後者に加わっていたかなりの人々は,反ファシズムの雑誌《社会評論》(1935年3月創刊)や《労働雑誌》(1935年4月創刊)の執筆者となった。ファシズム批判を公然と自らの著書名として刊行した著名な知識人は,長谷川如是閑と河合栄治郎であった。長谷川の《日本ファシズム批判》は,1932年11月刊行で,マルクス主義の色濃い影響下にファシズムを論じている。…
…滝川事件(1933)以来帝国大学内の自由主義者に対する右翼勢力の攻撃は強まっていたが,荒木貞夫の文相就任(1938)以来,文部省も大学の自治への介入の姿勢をいっそう強めていた。そのころ同学部では,河合栄治郎を中心とする一派と,土方成美などのファッショ的勢力との間で対立が続いていた。1938年10月河合の著作が発禁処分にあうや,大学人としての河合の処分を要求する学内外の右翼勢力の動きは高まりを見せた。…
※「河合栄治郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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