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西田幾多郎 にしだ きたろう

美術人名辞典の解説

西田幾多郎

哲学者・文学博士石川県生。号は寸心・松塢。東大哲学科卒。各地の中学・高校で教鞭をとり、のち京大哲学科教授となり、哲学・哲学史第一講座を担当。主著善の研究』により、〈独創的な哲学者〉〈日本の哲学の指導者〉といわれ、いわゆる〈西田哲学〉を確立させていった。文化勲章受章。昭和20年(1945)歿、76才。

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デジタル大辞泉の解説

にしだ‐きたろう〔‐キタラウ〕【西田幾多郎】

[1870~1945]哲学者。石川の生まれ。京大教授。東洋思想の絶対無を根底に置き、それを理論化して西洋哲学と融合する西田哲学を樹立した。文化勲章受章。著「善の研究」「芸術と道徳」「哲学の根本問題」など。

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百科事典マイペディアの解説

西田幾多郎【にしだきたろう】

日本の代表的哲学者。石川県出身。四高中退後,東大選科に入り,鎌倉の円覚寺などで参禅。1899年山口高校講師を経て四高教授となり,熱心に打座・参禅して,〈純粋経験〉〈直接経験〉および〈絶対矛盾的自己同一〉など,のちの彼の根本思想となるものについて思索を深めた。
→関連項目桑木厳翼谷川徹三土田杏村三木清

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

西田幾多郎 にしだ-きたろう

1870-1945 明治-昭和時代前期の哲学者。
明治3年5月19日生まれ。山口高,四高などの教授をへて,大正2年京都帝大教授となる。明治44年主客未分の純粋経験をキーワードにした「善の研究」を刊行。場所の論理,行為的直観,絶対矛盾的自己同一などの概念によって西田哲学といわれる独自の体系をきずく。昭和3年退官後も思索をふかめ,死を間近にして「場所的論理と宗教的世界観」を完成させた。15年文化勲章。昭和20年6月7日死去。76歳。加賀(石川県)出身。帝国大学卒。号は寸心。著作はほかに「働くものから見るものへ」「自覚に於(お)ける直観と反省」「哲学の根本問題」など。
【格言など】ただ一つの思想を知るということは,思想というものを知らないというに同じい(「続思索と体験・「続思索と体験」以後」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

西田幾多郎

没年:昭和20.6.7(1945)
生年:明治3.4.19(1870.5.19)
哲学者。現在の石川県宇ノ気町に,父得登,母寅三の子として生まれる。戸籍上の出生は,慶応4年8月10日(1868.9.25)。四高を退学後,帝大(東大)の選科に学ぶ。生家の没落,家庭的不幸,素志の挫折が青春をさいなんだ。四高に職を得,西洋哲学の研究に努めるとともに,座禅に専念,号寸心を得る。明治43(1910)年,京都帝大に招かれ(1913年教授,28年退官),翌年,近代日本哲学の最初の独創的著作となる『善の研究』を刊行。西欧的思惟と自身の禅体験を「純粋経験」によって融合させた本書は,真摯な求道者的姿勢と相俟ち(「偽我を殺し尽して一たび此世の慾より死して後蘇る」),人々に鮮烈な感動と多大な影響を与え続けた。以後死の寸前まで思索と執筆に没頭,悪戦苦闘の一生となる。「あさに思ひ夕に思ひ夜におもふ思ひに思ふ我が心かな」。あくまでも西洋の論理を追求しながら,根底に東洋の思考,日本人の心性を踏まえた我々の哲学であった。昭和15(1940)年文化勲章受章。体系は一部の批判を浴びる反面,絶対無,場所の論理など,現代の袋小路を突破するアイデアを蔵するが,生の底知れぬ深淵に対する憑かれたような論理化への努力こそが,尽きせぬ魅力の根源であろう。翻訳,紹介も活発で,田辺元ら京都学派と呼ばれるその学統とあわせ,欧米での評価と関心は近年とみに高い。闊達な書は全人格を表す。「愛宕山入り日の如くあかあかと燃し尽さん残れる命」。終生の友鈴木大拙が慟哭する。「とうとう西田死んだ!」。<著作>『西田幾多郎全集』全19巻。<参考文献>下村寅太郎『西田幾多郎』,中村雄二郎『西田幾多郎』,竹田篤司『西田幾多郎』

(竹田篤司)

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世界大百科事典 第2版の解説

にしだきたろう【西田幾多郎】

1870‐1945(明治3‐昭和20)
哲学者。近代日本の代表的哲学者として,その哲学はしばしば〈西田哲学〉と呼称される。石川県に生まれ,1894年東京大学哲学科選科を卒業,96年に金沢の第四高等学校講師,次いで教授となった。そのころから,物心両面の苦悩のうちに参禅の経験を重ねたが,やがて当代の日本に広い影響を与えていたT.H.グリーンの理想主義的人格主義倫理学やW.ジェームズの純粋経験の哲学にも学びつつ,主客未分の〈純粋経験〉の世界を実在の根本実相と観ずる立場に到達した。

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大辞林 第三版の解説

にしだきたろう【西田幾多郎】

1870~1945) 哲学者。石川県生まれ。京大教授。西洋哲学の伝統と対決しつつ、禅などの東洋思想を統合、これを「場所」「絶対無」「絶対矛盾的自己同一」などの理論で表現する宗教的色彩の強い思弁哲学を説いた。近代日本独自の哲学として大正・昭和期の思想に深い影響を与えた。著「善の研究」「思索と体験」「場所的論理と宗教的世界観」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

西田幾多郎
にしだきたろう

[生]明治3(1870).5.19. 石川
[没]1945.6.7. 鎌倉
哲学者。 1894年帝国大学哲学専科卒業,各地の学校で教鞭をとり,1910年以後京都帝国大学で倫理学,宗教学,次いで哲学を教授。その間『善の研究』の各編を発表 (1911) 。「純粋経験」を唯一の実在としてそれを自己の根本的立場とした。『自覚に於ける直観と反省』 (17) ,『一般者の自覚的体系』 (30) を経て,『無の自覚的限定』 (32) にいたって彼の哲学は体系化されるが,その軌跡は東洋の形而上学的原理である絶対的無を論理化することによって,有を原理とするヨーロッパの哲学を超克,包含する過程であった。 40年文化勲章受章。周辺には田辺元,波多野精一,和辻哲郎らの優秀な哲学者が集り,また天野貞祐,三木清らはその門下生。『西田幾多郎全集』 (19巻,65~66) がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西田幾多郎
にしだきたろう
(1870―1945)

哲学者。石川県金沢市近傍の宇ノ気村(現、かほく市)に生まれる。号は寸心。明治維新後、欧米の学問、芸術が入り、新日本の文化万般がその様式において根本的な変革と前進を始めた時期、欧米の現代哲学を紹介するのみならず、その優れたものを自家薬籠(やくろう)中のものとし、これを日本精神史、わけても武家時代以後、日本民族の精神的、宗教的生活の中核をなしてきた仏教(別して禅)と儒教の精髄を統合して独自の哲学を創建した最初の代表的哲学者である。ときどき発表した論文を集めて1冊の著書としたのが『善の研究』(1911)である。これは明治維新以来の欧風化を進める近代日本にとって、最初の独創的な哲学書とみるのが通説のようである。
 学制定まらず変革激しい明治初期であるが、初中校を経、のちに金沢の第四高等学校となる高等中学を経(目を病み中途退学する)、東京帝国大学文科大学哲学選科にて学ぶ。卒業後、金沢四高教授、学習院教授等を経、1910年(明治43)京都帝国大学文科大学助教授となる。哲学、倫理学、さらに宗教哲学も講ずる。1913年(大正2)文学博士。翌1914年より『自覚に於(お)ける直観と反省』なる論文を京大哲学科の機関誌『芸文』に、のちに新設の機関誌『哲学研究』に続いて発表、回を重ねること前後44回、5年にわたる。まもなく岩波書店より同名の標題の著書として出版される。『善の研究』と並び、この2書は大正年代の哲学青年・学徒に与えた影響すこぶる大であった。特別結論とか新学説とか銘打たれるようなものを産出した著述ではなく、とくに『自覚に於ける直観と反省』は、著者自身「此(この)書は余の思索に於ける悪戦苦闘のドッキュメントである。幾多の紆余(うよ)曲折の後、余は遂(つい)に何等の新しい思想も解決も得なかったと言はなければならない。刀折れ矢竭(つ)きて降を神秘の軍門に請ふたという譏(そしり)を免(まぬがれ)ないかも知れない」と序に述べている。
 1940年(昭和15)文化勲章受章。[高山岩男]

西田哲学の本質

哲学を学ぶとは「哲学する」philosophierenことを学ぶことだとは、ほかならぬドイツ哲学の始祖といってよいカントのいったことばである。半世紀にわたって西欧の哲学界を魅了したいわゆるドイツ観念論の哲学者たちを輩出させた本当の根源を、筆者はこのカントの「哲学する」という哲学の魂に存すると考えてきている者であるが、日本の哲学学徒を魅了し、世間に「京都哲学」とか「京都学派」とかよばれるようになった根源は、西田幾多郎の「講義」の姿にあると信じている。京都大学教授の停年も近づく数年間は、大講堂があふれるというだけでなく、学生のほか、近県で教鞭(きょうべん)をとる卒業生をはじめ、他の学部の教授・助教授がそのなかに混じって聴講し、講壇上を和服姿で行きつ戻りつする西田の姿を追い、水を打ったように静かであった講義風景を、筆者はいまなお思い出すことができる。
 このような西田哲学も――「西田哲学」という日本では珍しい呼び方をした最初の人は、東京商科大学(現、一橋(ひとつばし)大学)の教授だった左右田喜一郎(そうだきいちろう)である――停年が近づく大正末年の講義において大きな変換をし始め、「場所」という珍しい用語が飛び出し、やがて同名の論文が機関誌『哲学研究』に掲載された。場所ということばはなにも珍しくない日常語で、プラトンにも「イデアの場所」という概念があり、事実西田もこれを講義で援用したが、晩年の場所の哲学を理解するにも、またそれ以前の長い「悪戦苦闘のドッキュメント」時代の西田哲学を理解するにも、次の重大なことをここに記しておかなければならない。それは金沢時代からの西田の仏教、別して禅に対する深い関心と参禅修行のことで、これを抜きにしては西田哲学なるものを真には理解できないのである。[高山岩男]

西田哲学と禅

西田幾多郎と禅との関係はいつ始まるか直接に聞きただしたことはないが、前記の四高に入校したとき、同級に鈴木大拙(すずきだいせつ)がいた。この鈴木大拙が早く、そしてまた生涯禅と離れず、英文の『禅論文集』をもって世界に知られた人物であることは周知のとおりである。西田寸心がこの鈴木大拙と四高以来きわめて親密な間柄にあることは西田に接近している人の知るとおりで、禅の話を尋ねると大拙に聞けとか、京大時代のもっとも古い門弟久松真一に聞けとかいわれたものである。
 西田がいかに禅に凝ったかは、残された若い時代の日記ですぐわかるが、年譜(『西田幾多郎全集』第19巻)を検しても、28歳のころ参禅の関心高まり、雲門、滴水(1822―1899)、広州、虎関(こかん)の4禅師を歴訪しており、京都妙心寺にての夏の大接心に7日間参加をはじめ、妙心寺での参禅は続いており、30歳ころからは金沢郊外臥龍山(がりょうざん)雲門老師に参じ続けたもののようである。「寸心居士」の号はこの雲門老師より受けている。いまこれ以上言及しないが、注意したい点は、この禅を離れて西田のきわめて独自な哲学は成立しなかったであろうし、逆に、西洋人で西洋哲学を学び、優秀な哲学者となった人が日本にきて参禅したとしても、西田哲学風の哲学に違和感は避けられず、自らこの種の立場を建設することはできないであろうということである。
 西田哲学と禅との関係は、単に禅語を使用するという風の外面的のものでなく、禅体験と内面的に融合した思索が禅語と異なる哲学用語となり(たとえば絶対無の場所など)、その論理となるということである。
 西田は京都大学に赴任する前、学習院に教授として教鞭をとった(1909)。ごく短い1年の期間であったが、この期間に近衛文麿(このえふみまろ)(公爵)をはじめ、貴族の子弟が西田に影響され帰依(きえ)したようである。西田が京大教授として京都に移るや、近衛は京都大学に入学(文学部ではない)、西田と会合する機会をつくって教えを受けていたもののようである。太平洋戦争の雲行き暗く、政界の暗幕下でひそかに動くなかから西田の名を聞くに及んで、筆者は、西田と直接間接、政界になにかの関係があったのでないかと思っている。[高山岩男]
『『西田幾多郎全集』全19巻(1965~1966・岩波書店) ▽『西田幾多郎遺墨集』1巻(1977・燈影舎) ▽『西田幾多郎全集 新版』全24巻(2002~2009・岩波書店) ▽荒井正雄著『西田哲学読解――ヘーゲル解釈と国家論』(2001・晃洋書房) ▽竹村牧男著『西田幾多郎と仏教――禅と真宗の根底を究める』(2002・大東出版社) ▽小林敏明著『西田幾多郎の憂鬱』(2003・岩波書店/岩波現代文庫)』

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世界大百科事典内の西田幾多郎の言及

【一元論】より

…西洋での代表者は一者(ト・ヘンto hen)からの多様な現象の流出を説くプロティノス,〈産む自然〉としての一なる神を実体,多様な〈産まれた自然〉をその様態と説くスピノザなどである。西田幾多郎の《善の研究》(1911)は,純粋経験の程度・量的差異による世界と人生の一元論的説明の試みと言いうる。一元論は日本では《哲学字彙》(1881)以来,訳語として定着した。…

【宇ノ気[町]】より

…湖岸の大崎では小規模ながら漁業が行われる。哲学者西田幾多郎の生誕地で,西田記念館がある。ほかに縄文中期の上山田貝塚がある。…

※「西田幾多郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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