経済学者,キリスト教伝道者,教育家。愛媛県出身。一高,東京帝大卒業後,住友別子鉱業所に勤務,1920年東京帝大経済学部助教授に就任。欧米留学後教授として植民地政策を担当。一高時代新渡戸稲造,ついで内村鑑三に私淑し,無教会主義の信仰に生きることになった。彼は植民地政策論で植民地の実態調査により,被統治者の抑圧や収奪状況を明らかにしてその改善を唱え,そこに聖書のいう正義と公平を反映させた。32年満州調査旅行中の劇的体験によりキリスト教伝道を決意し,月刊《通信》(1932-37)を刊行,やがて聖書講義の集会を開催。37年に《中央公論》所収の論文《国家の理想》や,〈……この国を葬って下さい〉との講演会での言辞が警察当局の問題にするところとなり,教授を辞任,38年月刊《嘉信》を刊行,一時《嘉信会報》と改称したが,終生これを継続した。また,自宅での聖書講義,キリスト教古典を講じる土曜学校講義を開催。日本の敗戦で東京帝大教授に復帰,46年社会科学研究所長,48年経済学部長,49年教養学部長,51-57年総長を歴任。敗戦後の混乱と虚脱期には国民の自覚と新たな理想を訴え,やがて反動期になると,教育の自由と自治,軍備全廃と平和の理想を唱えつづけた。彼は一方において反動化する政府の大学への干渉と闘い,他方において過激な左翼学生の攻撃を退けていった。《矢内原忠雄全集》29巻(1963-65)がある。
→矢内原事件
執筆者:土肥 昭夫
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大正・昭和期の経済学者,教育家,キリスト教伝導者 東京大学総長・名誉教授。
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愛媛県出身。第一高等学校時代に校長新渡戸稲造のリベラリズムや内村鑑三に強く影響を受け,無教会派のキリスト教信者となる。1920年(大正9)東京帝国大学経済学部助教授に就任し,植民政策の講座を担当。その後,日本の植民政策への指摘や平和主義的な主張が問題視され,教授職を辞職したが,個人雑誌『嘉信』を発行し,弾圧に屈せず聖書研究に専心した。第2次世界大戦後,東京大学に復職し社会科学研究所長,経済学部長を歴任。1949年(昭和24)に初代教養学部長を務め,「人間として偏らない知識をもち,またどこまでも伸びていく真理探究の精神を植え付けなければならない」と述べ,リベラルアーツ教育の理念に基づき,全学の1・2年生を対象とする前期課程教育の確立に尽力した。また,新制大学制度を最も評価した一人でもある。南原繁のあとに東大総長に選ばれ,学生運動が先鋭化するなか,真摯に学生に対峙するとともに,大学自治の原則を貫いた。こうした経験から,退官後は学生問題の重要性を認識し,1958年に学生の調査と個人的相談にあたる学生問題研究所を創設した。
著者: 杉谷祐美子
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1893.1.27~1961.12.25
大正・昭和期の経済学者。愛媛県出身。東大卒。1923年(大正12)東京帝国大学教授。植民政策を担当。内村鑑三の思想的影響を強くうけたキリスト教徒で,人権尊重の立場から日本の植民政策を批判し続けた。37年(昭和12)「中央公論」に発表した論文「国家の理想」や講演での言動が反戦的思想として攻撃され辞職(矢内原事件)。第2次大戦中は個人雑誌「嘉信」で平和と信仰を説き,戦後は東京大学に復帰。51年総長に就任した。「矢内原忠雄全集」全27巻。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…これらの資料作成の背景には,朝鮮の三・一独立運動への対応という実際的な必要もあったといえる。一方,植民地主義批判としては,下田将美《愛蘭革命史》(1923)や矢内原忠雄の論文《アイルランド問題の発展》(1927)などがある。特に矢内原はアイルランド問題を民族独立と社会主義の問題として認識している。…
…そして〈天国篇〉が,若き日の詩人の見神の体験を踏まえた《新生》と同工異曲である点にも留意して,《神曲》全体を寓意としての〈愛〉の表出ととらえねばならないであろう。邦訳には1914‐22年の山川丙三郎による訳業以来,平川祐弘,寿岳文章らの労作があり,第2次大戦中の最も困難な時代に深く傾倒して《神曲》を語ったものに矢内原忠雄の《土曜学校講義》3巻(1968‐72)がある。【河島 英昭】。…
… これに対し,知識人を中心とする個人的抵抗にはさまざまな類型があった。消極的抵抗としては,社会主義者の荒畑寒村らのような完全沈黙,作家の谷崎潤一郎や永井荷風,東大教授で政治学者の南原繁らのような非便乗の良心的活動があり,積極的抵抗には,弁護士正木ひろし(個人雑誌《近きより》発行),元東大教授で経済学者の矢内原忠雄(個人雑誌《嘉信》発行)らのような合法的抵抗,奔敵・逃亡などによる軍隊拒否,日本共産党幹部の徳田球一,志賀義雄らやキリスト教徒で灯台社日本支部の明石順三らのような獄中抵抗,政治学者大山郁夫,俳優岡田嘉子,日本共産党野坂参三らのような国外での反戦活動があげられる。彼らの抵抗は,現実を動かす実効という点では弱く微力であったが,これらの人々の多くが,敗戦後の民主化された日本社会のなかで大きな足跡を残したことは,特筆されるべき事実であった。…
… ダンテの作品は,約言すれば,政治と文学との激しい葛藤のなかで生み出された。日本においては,明治時代から《新生》と《神曲》を中心に,かなりの翻訳と紹介が行われてきたが,その傾向を大別すると,第1は上田敏を頂点とする純文学的動機によるもの,第2は内村鑑三,正宗白鳥ら宗教的関心に基づくもの,第3は阿部次郎が築こうとした哲学的・倫理的傾向のもの,そして第4にダンテの文学を政治と文学の葛藤の角度から(とくに第2次世界大戦下の日本の状況と照らし合わせて)とらえようとしたもの(矢内原忠雄,花田清輝,杉浦明平ら)となる。《神曲》の翻訳としては,文章表現と文体に問題は残るが,最も原文に忠実で正確なものとして,山川丙三郎訳を挙げねばならない(1984年現在)。…
…1937年,矢内原忠雄が思想的理由で大学を辞職させられた事件。東京帝大経済学部教授矢内原忠雄は,日中全面戦争開始に当たり戦争批判の論文《国家の理想》を《中央公論》(1937年9月号)に執筆したが,同論文は検閲で削除処分に付せられた。…
※「矢内原忠雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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