友子同盟(読み)ともこどうめい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「友子同盟」の意味・わかりやすい解説

友子同盟
ともこどうめい

江戸時代初・中期より、鉱山労働者の間で自然発生的に成立した相互扶助組織。社会保険や福祉厚生組織のなかった時代、絶えず落盤陥没などの危険にさらされていた鉱山労働者にとっては、その救済組織が求められたのは当然で、鉱山、炭鉱のみならず土建現場まで広く普及していた。1920年(大正9)発行の農商務省鉱山局編「友子同盟ニ関スル調査」によれば「徳川時代ヨリ一般坑夫間ニ行ハルル慣習ニヨレハ坑夫トナルニハ一定ノ形式ニ従ヒテ取リ立テラルルヲ要シ、取立テヲ受ケタル坑夫ハ之(これ)ヲ友子ト称シ、全国ノ友子ハ一団ヲナシ友誼(ゆうぎ)ヲ重ンジ互ニ災害ヲ共済スルモノトス。之ヲ坑夫ノ交際ト云(い)ヒ、カカル坑夫ノ団体ヲ友子同盟ト云フ」と述べている。

 友子同盟の活動範囲には、いくつかの段階がある。まず第一に一鉱山を中心に行われる共済で、新しい友子は、親分について3年3月10日間の奉公をし修業をする。その後の年数により元老、大工、親大工などの子分制や、親元、大番頭、当番頭などの役柄につく。そして坑員の病気・負傷・死亡などの際の適当な救済活動を行った。第二に全国坑員を一丸とする救済互助活動も行われた。すなわち、友子として認められると、全国の友子同盟へ加入紹介の回状が送られる。坑員の移動に際しては、一宿一飯の仁義のみならず、失業者の就職周旋を行う。また一鉱山では救済しきれない重傷者が出た場合には全国に奉願帳を回し、救済資金を集めることも行われた。第三に特定の技術伝授の必要から親分子分、兄分弟分などの杯(さかずき)を取り交わし、親分・兄分は生涯、子分・弟分のめんどうをみることが行われた。

 友子制度は、第一次世界大戦後まで存続していたが、まず全国的な救済がなくなり、第二次大戦後は一鉱山を中心とする救済制度もなくなり、その機能は社会保障制度にとってかわられた。

[黒岩俊郎]

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