口野郷(読み)くちのごう

日本歴史地名大系 「口野郷」の解説

口野郷
くちのごう

江浦えのうら湾に臨む現在の獅子浜ししはま・江浦・多比たびおよび口野の一帯に比定される浦方の郷で、郷内は獅子浜・江浦・田飛(多比)尾高おだか田連たづれの五ヵ村からなり(永禄九年一二月七日「葛山氏元朱印状」植松文書など)、口野五ヵ村あるいは単に五ヵ村ともいった。のちに尾高・田連の二村合併近世には口野村となる。天文二一年(一五五二)四月二七日、葛山氏元は植松藤太郎に対して、「口野之内尾高村」を藤太郎の親右京亮のときと変りなく「多比村同前」に支配することを許し、また「五ケ村棟別」についても五貫文は「前々」のごとく藤太郎に与えている(「葛山氏元朱印状」植松文書、以下断りのない限り同文書)。植松氏は当地の地侍で当郷の代官を勤め、天文一九年には藤太郎が葛山氏元に従って「尾州へ出陣」している(同年八月二〇日葛山氏元朱印状)。永禄六年(一五六三)七月二日、氏元は当地で捕獲した海豚や立物(水産物)などの上納について定めている(葛山氏元判物)。同九年一二月七日、氏元は「五カ村百姓中并両上使」に対して五人の陣夫役を課しているが、これらの陣夫を召抱えることを許されたのは植松小次郎・同右京亮・町田甚十郎・橋本内ミ・富永河内守ら、当地の地侍たちであった。

永禄一一年末に甲斐武田氏が駿河に侵入すると、葛山氏は今川氏に背いて武田氏に属した。一方、代官の植松氏などは葛山氏を離れて北条氏に属している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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