古川新田(読み)ふるかわしんでん

日本歴史地名大系 「古川新田」の解説

古川新田
ふるかわしんでん

[現在地名]館山高井たかい

高井村の北に位置し、平久里へぐり川とその支流たき川に挟まれた合流域に展開する。江戸から館山までの主要往還滝田たきだ道が縦断する。桑原くわはら村と称されることもあった(房陽郡郷考)正保郷帳に新田名がみえ、高一四八石余(うち田九三石余)、北条藩領。享保一二年(一七二七)安房国村々助郷請帳(岩崎家文書)、元文村高帳でも北条藩領。天保村高帳では鶴牧藩領。天保一四年(一八四三)の忍藩領郷村高帳に村名がみえ、武蔵忍藩領。房陽郡郷考でも同藩領で、家数八。嘉永七年(一八五四)の岡山藩房総預地村高帳(池田家文庫)では備前岡山藩の預地。旧高旧領取調帳によると幕末には近江三上藩領で、明治元年(一八六八)長尾藩領となった。


古川新田
ふるかわしんでん

[現在地名]倉敷市西田・早高

西田にしだ村と高沼たかぬま村に挟まれて位置し、もとは弁才天べざいてん(現都窪郡早島町)より南六間みなみろつけん川へ通じる川筋で古川と称した。元禄元年(一六八八)に悪水吐川として汐入しおいり川を開削したため、排水路としての古川の必要がなくなったので、用水路を残して葭生地を新田に開発した。元禄一一年開発、翌年完成、鍬下年季四年、元禄一六・一七両年は物成一割であった(「早島戸川役所日記写」納所文書)当新田も旗本早島・帯江両戸川氏の折半となり、南西部を早島領、北東部を帯江領とした。


古川新田
ふるかわしんでん

[現在地名]白根市古川新田

信濃川左岸に立地し、真木まぎ新田の南にある。慶安三年(一六五〇)庄瀬しようぜ村の人真保次郎右衛門が新発田藩の命により開発に着手、延宝八年(一六八〇)総検地のとき古川新田を称したという(中蒲原郡誌)。寛文七年(一六六七)と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)に家数一三・人数七四、天和三年(一六八三)とみられるその貼紙には家数七・人数五九とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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