古市澄胤(読み)ふるいち ちょういん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古市澄胤」の解説

古市澄胤 ふるいち-ちょういん

1452-1508 室町-戦国時代の武将
享徳元年生まれ。14歳で出家し,倫観房澄胤と称す。文明7年興福寺衆徒(しゅと)の兄胤栄より家督をつぎ,10年官符衆徒。大和(奈良県)に勢力をはった。永正(えいしょう)5年7月河内(かわち)(大阪府)高屋城畠山尚順(ひさのぶ)を攻めて敗れ自害。57歳。茶祖の村田珠光(じゅこう)の弟子として知られる。大和出身。号は播磨(はりま)公。

古市澄胤 ふるいち-すみたね

ふるいち-ちょういん

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の古市澄胤の言及

【古市氏】より

…室町時代に活躍した大和の国人。代々興福寺大乗院方の衆徒であった。本貫地は現奈良市東南方の福島市(ふくしまのいち)で,室町時代中期の給分としては,福島市の下司職(げししき)を〈惣知行〉するほか,高田荘切田米,狭竹荘請口内60貫文,上生講田作主職,越前河口荘藤沢名半分を与えられていた(《三箇院家抄》)。福島市は鎌倉時代後期に奈良の南市に移され,以後福島市は古市と呼ばれた。古市氏の国人としての成長も鎌倉時代後期と考えられ,1325年(正中2)古市但馬公が史料に見える。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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