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村田珠光 むらた じゅこう

百科事典マイペディアの解説

村田珠光【むらたしゅこう】

茶道の祖。南都の杢市検校の子として生まれたとされる。幼名茂吉。11歳の時奈良称名寺に入り出家するが,のち還俗して諸国を放浪する。一休に学んで茶禅一味の境地に達し,佗茶(わびちゃ)を創始した。
→関連項目武野紹鴎茶道流れ圜悟墨跡

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

村田珠光 むらた-じゅこう

1423-1502 室町-戦国時代の茶人。
応永30年生まれ。もと奈良の僧で,京都にすむ。大徳寺の一休宗純に参禅し,また能阿弥(のうあみ)に立花と唐物目利きの法をまなんだ。書院の茶と庶民の茶を統合し,四畳半草庵のわび茶を創始。茶道の開山(かいさん)とされる。文亀(ぶんき)2年5月15日死去。80歳。通称は茂吉。号は独盧軒。
【格言など】月も雲間のなきは,いやにて候(「禅鳳雑談」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

村田珠光

没年:文亀2.5.15(1502.6.19)
生年:応永30(1423)
室町時代茶湯者。侘び茶の創始者として,開山珠光とも称されるが,近年まで伝記については不明な部分が多かった。奈良の杢市検校の子で初名茂吉。11歳にして奈良称名寺の了海上人の徒弟となり,法林庵を預かるまでになるが,20歳のころ出奔して放浪し,やがて一休宗純に出会う。また能阿弥の知遇も得て,唐物数寄(中国の文物を重んじる書院台子の茶)の世界を知り,侘び茶を工夫する機縁となった。能阿弥の推挽で足利義政の知遇を得,「孔子の道を学ぶ」と紹介されたという(『山上宗二記』)。別の伝で六条堀川西に結んでいた四畳半草庵に,義政が「珠光庵主」の文字を与えたとされている。珠光の思想を示す,古市播磨(澄胤)に与えた「心の文」に,「和漢のさかひをまぎらかす」ことが「この道の一大事」とあって,和漢の混融が説かれる。中国渡来の唐物崇拝に対し,和物に対する美意識を開発しようとするものであった。それは,東山文化の基調である浄禅兼帯の志向と軌を一にする。珠光の侘び茶は,東山文化の一環として捉えるべきであろう。珠光の場合,物の不足を心の豊かさで補おうとするところに,茶の湯の独自性があった。大徳寺の一休の禅も,和様化を目途するもので,さらに珠光を慕う武野紹鴎が古岳宗亘,大林宗套に親炙することで,大徳寺と茶の湯が決定的に結びついた。『山上宗二記』に珠光門人の名が挙げられるが,とりわけ興福寺の衆徒の棟梁であった古市播磨が重要で,彼から奈良の漆問屋松屋源三郎が珠光名物を譲りうけ,この一族の珠光名物への崇拝,伝存が珠光の名を高めることになる。野村美術館,香雪美術館の「山水図」の落款の画人珠光が同一人であるか不詳。

(戸田勝久)

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世界大百科事典 第2版の解説

むらたじゅこう【村田珠光】

1423‐1502(応永30‐文亀2)
わび茶の開祖。南都の杢市検校の子として生まれたとされる。幼名茂吉。11歳で称名寺に入り出家となったが,長ずるに及んで出家を厭い,寺役を怠ったため寺から追放される。また両親からも勘当をうけて漂泊の身となり,連歌師として,あるいは闘茶の判者などをして諸国を流浪した。のちに能阿弥を知り,立花の法を学ぶとともに器物の鑑定にも長じた。また一休禅師に参禅して〈仏法も茶湯の中にあり〉の語を得てからは,茶禅一味の境地に達し,これを貫いた。

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大辞林 第三版の解説

むらたじゅこう【村田珠光】

1423~1502) 室町時代の茶人。奈良の人。一休宗純に参禅し、禅旨を茶に加味し新茶法を工夫したという。侘び茶の創始者といわれ、後世茶の湯の開山と称された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

村田珠光
むらたしゅこう

[生]応永30(1423).奈良
[没]文亀2(1502).5.15. 奈良
室町時代前期の茶人。通称を茂吉,号は香楽庵南星,独盧軒。休心法師ともいう。奈良称名寺の僧で諸国放浪ののち大徳寺の一休和尚に参禅,かたわら茶事にも精進し「茶禅一味」の境地を会得。また能阿弥に師事して立花や唐物目利 (からものめきき) の法を習い,能阿弥の推薦で足利義政の茶道師範となった。貴族向きの書院茶に対し庶民向きの数寄茶を創案。茶の湯から博奕 (ばくち) と酒盛りを除去し,亭主と客との精神的交流を主とする一座の設定に主眼をおいた。これがやがて千利休によって佗茶として大成された。茶器類の鑑定にもすぐれ,「珠光名物」と呼ばれる名物道具十数種を所持していた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

村田珠光
むらたじゅこう
(1423―1502)

室町時代の茶人。独盧(どくろ)軒と号す。奈良に生まれる。少年のとき浄土宗称名(しょうみょう)寺に入ったが、やがて寺を出て京都に上り、茶人となったといい、京都では六条左女牛(さめうし)(下京(しもぎょう)区)に住んだと伝える。一休に参禅し、印可の証として圜悟克勤(えんごこくごん)の墨蹟(ぼくせき)を与えられたが、これを初めて茶掛に用いたことから墨蹟開山と称せられる。一休との関係については、1493年(明応2)大徳寺真珠庵(しんじゅあん)の「一休和尚(おしょう)十三回忌奉加帳(ほうがちょう)」に一貫文を寄付したことがみえる。室町将軍足利義政(あしかがよしまさ)の同朋衆(どうぼうしゅう)、能阿弥(のうあみ)の推挙で義政に参仕したと伝えるが、事実とは考えがたい。ただし能阿弥から『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』の相伝を受けており、書院茶の世界と無縁ではなかった。連歌(れんが)師の宗長(そうちょう)や香の志野宗信(しのそうしん)らとも親交した。一の弟子であった大和(やまと)の土豪、古市澄胤(ふるいちちょういん)に与えた「心の文」には、「和漢の境を紛らかすこと」の必要を説き、当時唐物(からもの)にかわる和物数奇(わものすき)が高揚し始めていたことを示す文献として貴重。「月も雲間のなきは嫌(いや)にて候」(『禅鳳雑談(ぜんぽうぞうたん)』)の語も珠光の美意識を示すものとして有名である。弟子の宗珠(そうしゅ)を後嗣(こうし)とした。[村井康彦]

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世界大百科事典内の村田珠光の言及

【信楽焼】より

…器種は壺,甕(かめ),擂鉢(すりばち)が主流で,素地(きじ)は長石粒や石英粒を多く含んだ山土を用い,明るく赤褐色に焼きあがったものが多く,肩に檜垣(縄目)文を刻んだり,自然釉のかかったものもある。室町時代末以降,〈侘茶(わびちや)〉の興隆とともにこれら焼締め陶が村田珠光ら茶匠によって注目され,茶壺,水こぼし,水指,花入など茶道具としても取り上げられた。苧桶(おおけ)を水指に転用するなど〈見立てもの〉から始まり,桃山期以降は茶匠の好みものも作られ,備前焼とともに侘道具の双璧をなした。…

【真珠庵】より

…その寂後10年目の1491年(延徳3)に完成。造立経費は大徳寺再建を援助した堺の貿易商尾和宗臨(おわそうりん)(?‐1501)はじめ,数寄者村田珠光,連歌師宗長などの寄進。現在の建物は江戸初期の再建である。…

【大徳寺】より

…応仁の乱で炎上したが,乱後に住持となった一休宗純は,その反骨の大徳寺禅を堺の町衆社会にひろめ,彼ら豪商の外護で方丈や法堂(はつとう)など伽藍の復興をなしとげた。 また村田珠光は,侘茶の創始にあたって一休に参禅し,これ以後,茶人の大徳寺禅への傾倒が盛んになり,当寺は近世侘び茶の隆盛の結節点の役割を果たし,大徳寺の〈茶づら〉と世間に評されるようになった。近世の初頭,武人数寄(すき)の流行と相まって,諸大名の当寺への帰依は著しく,大名らがつぎつぎと塔頭(たつちゆう)を山内に建て,寺運は隆盛をきわめた。…

【茶道】より

…同朋衆は茶道にも造詣が深く,会所の一部に設けられた茶の湯の間などと呼ばれる部屋で茶をたてる役も務めた。 一方,15世紀後半になると村田珠光によって新しい茶風が創始された。村田珠光は奈良の人で,のちに京都に出て一休宗純に参禅し,その茶の思想は〈心の文〉と呼ばれる文章によく表れている。…

【点前】より

…文化水準において対等であるか,または決定的に異質な文化体系であれば,問題なく単なる飲料として受け入れられたのであろうが,基本的に中国文化を摂取しながら,独自の文化体系を模索してきた日本の場合,とくに室町期に入って京都という最も民族性に適した都市を文化の中心にするにいたって,ことさら独自性が意識されてきただけに,中国文化への傾斜は,それからの離反と表裏をなすような精神構造になっていた。この問題を茶の湯についてみれば,村田珠光のいう〈和漢のさかひをまぎらかす〉ことの主張となって表現されている。この思想は,中国文化を積極的に日本の風土,生活慣習の中に融和させ,そしてさらに中国文化から脱却して,独自の文化を展開させることであった。…

【東山文化】より

…《花伝書》がつくられるようになるのも,応仁・文明の乱前後のことである。茶では村田珠光が登場し,書院茶の湯の略体化を進め,枯淡の美を説いたのが注目される。とくに《心の文》のなかで〈和漢のさかいを紛らかすこと肝要〉と述べ,これまでの唐物一辺倒に対して,備前物,信楽物などの国物(国焼)のもつ素朴な美しさに関心を寄せている。…

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