日本歴史地名大系 「古河城跡」の解説
古河城跡
こがじようあと
古河城は
城の起源を「鎌倉大草紙」「永享記」など後世の記録類は
興国元年(一三四〇)七月二〇日の北畠親房御教書写(松平結城文書)に高師冬軍が「猶逗留古河辺」したとあるのは古河城と考えられ、しだいにその姿を史上に現してくる。「北越軍記」には応安年間(一三六八―七五)に上杉憲栄が古河城主であったとの記事がみえ、「関東古戦録」によれば康暦二年(一三八〇)には憲栄の目代下河辺朝行が城主で、小山義政と鎌倉公方足利氏満による古河城争奪戦があり、「頼印大僧正行状絵詞」には至徳三年(一三八六)の小山若犬丸の乱に際して七月一二日に「下総国古川郷ニ陣ス。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報