古海郷(読み)ふるみごう

日本歴史地名大系 「古海郷」の解説

古海郷
ふるみごう

旧高草郡東部の千代川左岸にあり、古代古海郷(和名抄)改編、継承されたと考えられる中世郷。郷域は古海・菖蒲しようぶを中心とし、一部有富ありどめ川下流域も含んだとみられる。「関東往還記」弘長二年(一二六二)六月二三日条に、一条局が当郷など私領六ヵ所を奈良西大寺の僧叡尊に寄進したとあるが、その所職・伝領関係などは不明。嘉元三年(一三〇五)一〇月日の無動寺所司等申状案(猪熊文書)によると、当郷内に薬師寺があり、同寺は比叡山無動むどう寺領で、承久三年(一二二一)八月日の幕府の下知状により守護・地頭の新儀自由狼藉が禁じられた。当郷の古海孫次郎教忠は永仁三年(一二九五)から同六年にかけて地頭・御家人と称し、薬師寺公文職の任免権をめぐって預所と相論となり、教忠は幕府に訴えている。裁判が不利な展開になると勝手に帰国して濫妨狼藉をはたらき、嘉元元年からは舎弟二人とともに寺領を押妨して年貢を抑留し、教忠の一族道通も同様の訴訟を起こしていた。

延慶二年(一三〇九)に無動寺預所は茂継を薬師寺の公文職に補任したが、本所に敵対する教忠・道通に同心すれば罷免すると明記している(同年四月日「因幡薬師寺公文職補任状案」古文書集)。元応元年(一三一九)には当郷内薬師寺やくしじ村の住人新河兵衛次郎とその家人六郎・播磨房らが、作毛を刈取り傷害事件を起こして地頭代に訴えられ、幕府は御家人保土原馬允・矢部七郎に取締を命じた(同年一〇月四日「六波羅御教書」尊経閣所蔵古蹟文徴)

古海郷
ふるみごう

和名抄」東急本は「布留美」の訓を付す。天平一四年(七四二)一二月三〇日の優婆塞貢進解(正倉院文書)に「弓削寺僧行聖」が優婆塞として推薦した「星川五百村年卅六、因幡国高草郡古海郷戸主星川君虫麿戸口」がみえ、戸主星川君虫麿は古海郷内の有力土豪であったと推定される。現鳥取市古海を遺称地とし、千代川下流西岸、有富ありどめ川と野坂のさか川がそれぞれ千代川に合流する間の平野部に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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