日本歴史地名大系 「古海村」の解説
古海村
ふるみむら
千代川左岸、同川と村内を東流する
慶長一〇年(一六〇五)の気多郡高草郡郷帳に古海とみえ、高七三八石余、田六五町一反余・圃三一町三反余、物成五九二石。拝領高は一千一七四石余、本免五ツ一分。藪役銀一匁八分・山役銀四九匁・川役銀五〇匁が課されていた(藩史)。東館家家臣大橋・沢・松岡・仙石各氏のほか、富島・隠岐・渡辺・野口・福田・藤井・愛洲・明石の各氏の給地があった(給人所付帳)。「因幡志」では家数九四、うち
古海村
ふるみむら
現信濃町の東北端。東は
村の北西部にある古海盆地(東西一・六キロ、南北一キロ)は、斑尾山の噴火による溶岩の流出で生じた堰止湖が、北西隅の
古海村
こかいむら
南を利根川が流れ、東は
近世は初め館林藩領。寛文郷帳では田方四六石二斗余・畑方六三二石四斗余で、田方に「田方水旱両損」と注記される。寛文地方要録(館林市立図書館蔵)に高七九二石七斗余、田二町七反余・畑七一町一反余とある。慶安三年(一六五〇)のほか度々小規模の検地が行われ、延宝八年(一六八〇)の村高は八二七石四斗余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報