古賀峯一(読み)コガ ミネイチ

20世紀日本人名事典 「古賀峯一」の解説

古賀 峯一
コガ ミネイチ

大正・昭和期の海軍大将 連合艦隊司令長官;元帥



生年
明治18(1885)年4月25日

没年
昭和19(1944)年4月1日

出生地
佐賀県有田町

学歴〔年〕
海兵(第34期)〔明治39年〕卒,海大〔大正6年〕卒

経歴
大正7年海軍省軍務局第1課員。9〜11年フランス駐在。帰国して連合艦隊参謀。15〜昭和3年再びフランス大使館付武官。帰国後、海軍大臣副官、青葉伊勢艦長、軍令部第3、第2各班長から第2部長。10年から第7戦隊司令官、練習艦隊司令官、12年軍令部次長。14年から第2艦隊、支那方面艦隊、横須賀鎮守府の司令長官を歴任。17年大将。18年山本五十六戦死後の連合艦隊司令長官。戦線縮小のキスカ徹退には成功したが、連合艦隊司令部移転の途中、飛行艇の事故で殉職死後元帥に昇進

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「古賀峯一」の意味・わかりやすい解説

古賀峯一
こがみねいち

[生]1885.4.25. 佐賀
[没]1944.3.31? フィリピン沖
海軍軍人。 1906年海軍兵学校,12年海軍大学校卒業。フランス大使館付き武官,練習艦隊司令官,軍令部次長,第2艦隊司令長官,支那方面艦隊司令長官,横須賀鎮守府長官などを歴任。 43年5月,山本五十六大将の戦死のあとをうけて連合艦隊司令官。 44年3月 31日にパラオ島からミンダナオ島ダバオに陸上戦闘指揮所を移すために飛行艇で飛行中,悪天候のために遭難死。死後,元帥。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古賀峯一」の解説

古賀峯一 こが-みねいち

1885-1944 明治-昭和時代前期の軍人。
明治18年4月25日生まれ。海軍大学校教官などをつとめ,青葉,伊勢の艦長を歴任。太平洋戦争中,支那方面艦隊司令長官,横須賀鎮守府司令長官などをへて,昭和18年戦死した山本五十六(いそろく)の後任として連合艦隊司令長官に就任。昭和19年3月31日移動中に飛行機墜落,殉職した。60歳。没後に元帥。佐賀県出身。海軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「古賀峯一」の解説

古賀 峯一 (こが みねいち)

生年月日:1885年4月25日
大正時代;昭和時代の海軍軍人
1944年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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