古郡村
ふるこおりむら
[現在地名]藤島町古郡
藤島村の南に位置し、西を藤島川が北流する。道橋付近に古代出羽郡衙が置かれたと考えられているが、考古学上は未検出。奈良―平安期の古郡A遺跡がある。平安期に栄えた宮目寺が藤島川右岸沿いにあったともいう。藤島大洞寺も古くは当村の寺社河原にあったという。慶長(一五九六―一六一五)頃まで、藤島城の支城の古郡館があった(藤島町史)。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高九五九石余で、以後庄内藩領。寛永元年庄内高辻帳では高九〇四石余。明和三年(一七六六)の人別改帳では家数四五・人数二一八(藤島町史)。弍郡詳記では免四ツ五分、家数五五。
古郡村
ふるごおりむら
[現在地名]上野市古郡・朝日ヶ丘町
上林村の南。西端を長田川(木津川)が北流する。東の丘陵上に狐塚・無名塚・南山古墳群などの円墳がある。「日本書紀」天武天皇元年六月条に壬申の乱に際し大海人皇子らが「伊賀の郡に到りて、伊賀駅家を焚く。伊賀の中山に逮りて当国の郡司等数百の衆を率て帰りまつる」とあるが、伊賀駅家は当地に所在したと推定される。
古郡村
ふるこおりむら
[現在地名]美里町古郡
東流する志戸川の南岸、北流して同川に合流する天神川西岸に挟まれた水田地域で、東端は山崎山丘陵にかかる。集落は南半に、水田地域は北部に広がる。北は児玉郡阿那志村・根木村。地内に条里区画が残っていたが、圃場整備により消滅。古郡の名から、古代の那珂郡衙の比定地とする説もある。猪俣党古郡氏の名字の地とされる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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