台宿村(読み)だいじゆくむら

日本歴史地名大系 「台宿村」の解説

台宿村
だいじゆくむら

[現在地名]塙町台宿

塙村の南西久慈くじ川西岸の段丘八溝やみぞ山地東縁に立地。同川沿いの水戸街道に沿う宿駅村。南原みなみはらに縄文時代の南原遺跡がある。江戸時代の領主の変遷は下渋井しもしぶい村と同じ。慶長八年(一六〇三)の常世之内北野村縄打帳(福島県史)に村名がみえる。正保郷帳によると高五七〇石余、うち田二七一石余・畑二九八石余。元禄郷帳では高五七三石余、枝郷の前田まえだ村の高一〇石余、稲沢いなざわ村の高三五石余。文化一四年(一八一七)の村控帳(塙町史)によれば高六〇一石余。天保三年(一八三二)の村明細帳(同書)によれば人数二五五(男一四〇・女一一五)、馬三〇。問屋が一軒あって荷物を継送っていた八槻やつき(現棚倉町)までは本馬四七文・軽尻三二文・人足二四文、伊香いこう村までは本馬二二文・軽尻一五文・人足二四文。


台宿村
だいしゆくむら

[現在地名]取手市台宿一―二丁目など

北相馬台地東端に位置。西は取手村。「取手市史」によれば江戸初期は天領寛文(一六六一―七三)頃は下総佐倉藩領。享保三年(一七一八)から下総関宿藩領、明和七年(一七七〇)から旗本久世氏の分家久世広徳知行地、天明八年(一七八八)から再び関宿藩領となって明治に至る。寛永一一年(一六三四)検地の村高四三四石余(取手町郷士史資料集)。正保三年(一六四六)の相馬領大宿村戌御物成可納割付之事(寺田恂文書)によれば村高四二〇・五六五石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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