四道将軍(読み)しどうしょうぐん

精選版 日本国語大辞典 「四道将軍」の意味・読み・例文・類語

しどう‐しょうぐん シダウシャウグン【四道将軍】

〘名〙 崇神天皇期に、諸国を鎮撫平定するために北陸東海西海丹波四方面につかわされた四人将軍。よつのみちのいくさきみ。〔書言字考節用集(1717)〕

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デジタル大辞泉 「四道将軍」の意味・読み・例文・類語

しどう‐しょうぐん〔シダウシヤウグン〕【四道将軍】

崇神天皇の時、四方派遣されたと伝えられる四人の将軍。東海武渟川別命たけぬなかわわけのみこと北陸大彦命おおひこのみこと西道吉備津彦命きびつひこのみこと丹波丹波道主命たんばみちぬしのみこと

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改訂新版 世界大百科事典 「四道将軍」の意味・わかりやすい解説

四道将軍 (しどうしょうぐん)

崇神天皇が支配圏を拡大するため四方に遣わしたとする皇族将軍総称。《日本書紀》崇神10年9月条に大彦命を北陸(くぬがのみち)に,武渟川別(たけぬなかわわけ)を東海(うみつみち)に,吉備津彦(きびつひこ)を西道(にしのみち)(山陽)に,丹波道主(たにわのちぬし)命を丹波(山陰)に遣わし,服従しない者は武力をもって討伐することを命じたと見える。《古事記》には吉備津彦派遣のことが欠けているが,孝霊段に大吉備津日子命と若建吉備津日子命が吉備国を平定したことが見える。これらの将軍はその名からしても,また年代よりみてもいずれも実在の人物とは断定しがたい。しかし,崇神記に大毘古・建沼河別(たけぬなかわわけ)父子の出会った所を相津(あいづ)(会津)というとあるのは,東海・北陸方面の彼らを祖とする阿倍氏同族の分布と一致する事実と無関係でなく,何ほどか史実の背景があったとも考えられる。いずれにせよ,大和朝廷がその版図を拡大していく過程で皇族が将軍となって征戦に従事したことを伝えるもので,日本武(やまとたける)尊の物語の先駆をなすものであろう。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「四道将軍」の意味・わかりやすい解説

四道将軍
しどうしょうぐん

崇神(すじん)天皇の代に北陸、東海、西道、丹波(たんば)に派遣されたと伝える将軍。ただし『古事記』では、孝霊(こうれい)天皇の代に、まず大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)と若建(わかたけ)吉備津日子命を吉備へ派遣し、ついで崇神天皇の代に大毘古命(おおひこのみこと)を高志(こし)道へ、建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)を東方十二道へ、日子坐王(ひこいますのみこ)を丹波へ遣わしたとしており、崇神朝では三道派遣の説話になっている。また『日本書紀』が吉備津彦を西道に、丹波道主命(みちぬしのみこと)を丹波に遣わしたとするのとも、将軍名が異なっている。倭(やまと)王権の勢威拡張を物語る将軍派遣説話の一種。

[上田正昭]

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百科事典マイペディア 「四道将軍」の意味・わかりやすい解説

四道将軍【しどうしょうぐん】

崇神(すじん)天皇時代に全国平定のため派遣されたという4人の皇族将軍。《日本書紀》では北陸に大彦(おおひこ)命,東海に武渟川別(たけぬなかわわけ)命,西道(山陽)に吉備津彦(きびつひこ)命,丹波(山陰)に丹波道主(たにわのみちぬし)命を派遣している。大和朝廷による全国統一を象徴化した伝承である。
→関連項目崇神天皇

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「四道将軍」の解説

四道将軍
しどうしょうぐん

崇神(すじん)朝に四道に派遣された伝説上の将軍。「日本書紀」によると崇神10年,大彦(おおひこ)命を北陸,武渟川別(たけぬなかわわけ)命を東海,吉備津彦命を西道,丹波道主(たにわのみちぬし)命を丹波に,それぞれ遣わしたという。「古事記」では,大毗古(おおひこ)命を高志(こし)(越)道,建沼河別命を東方十二道,日子坐(ひこいます)王を旦波(たにわ)に派遣したという三道将軍となっている。なお稲荷山古墳出土鉄剣銘の「意冨比垝(おおひこ)」を大彦命と関連づける説がある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「四道将軍」の解説

四道将軍
しどうしょうぐん

崇神天皇により,国土を平定するために,4地域に派遣された記紀伝承上の4人の皇族将軍
北陸に大彦命 (おおひこのみこと) ,東海に武渟川別命 (たけぬなかわわけのみこと) ,西海に吉備津彦命 (きびつひこのみこと) ,丹波に丹波道主命 (たんばのみちぬしのみこと) を派遣。大和政権の国土統一という歴史事実を背景として生まれたこの伝承のために,崇神天皇は御肇国天皇 (はつくにしらすすめらみこと) と呼ばれたらしい。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「四道将軍」の意味・わかりやすい解説

四道将軍
しどうしょうぐん

『日本書紀』に記されている4人の将軍。崇神天皇の代に,諸国平定のために北陸へ大彦命,東海へ武渟川別,西海へ吉備津彦,丹波へ丹波道主命の4将軍を派遣したという。『古事記』にもこれに似た所伝があるが,いずれにしても史実については疑問視されている。

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