皇室系譜に第7代と伝える天皇。『日本書紀』によれば、国風諡号(しごう)は大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとにのみこと)。孝安(こうあん)天皇の皇子で、母は押媛(おしひめ)。都を黒田(くろだ)(奈良県磯城(しき)郡田原本(たわらもと)町)の廬戸宮(いおとのみや)に遷(うつ)して孝霊元年に即位、同2年に磯城県主大目(しきのあがたぬしおおめ)の女細媛命(むすめほそひめのみこと)を皇后とし、同76年に没して片丘馬坂陵(かたおかのうまのさかのみさざき)に葬られたという。『古事記』は、母を忍鹿比売(おしかひめ)命、皇后を十市(とおち)県主の祖大目の女とし、106歳で没したと伝える。
[星野良作]
(大平聡)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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