吉原宿(読み)よしわらしゆく

日本歴史地名大系 「吉原宿」の解説

吉原宿
よしわらしゆく

[現在地名]富士市吉原一―四丁目・中央町ちゆうおうちよう一―三丁目

現富士市中央の南西寄り、潤井うるい川下流左岸に位置する。東海道の江戸から数えて一四番目の宿場。東ははら宿(現沼津市)、西は蒲原かんばら宿(現蒲原町)へ継送した。吉原町とも書く(元禄郷帳)。江戸時代を通じて幕府領。慶長六年(一六〇一)一月伝馬朱印状が下付され、吉原宿が成立。当初は中世の吉原湊の後背の鈴川すずかわ村に位置したが、津波漂砂などの自然災害を受けることが多く宿場として不適当であった。このため寛永一六年(一六三九)から翌一七年にかけてもとの宿(元吉原という)より北西田島たじま村およびのちの依田橋よだばし村の地先に所替された。ここを中吉原なかよしわら(新宿)という。今泉村は吉原新屋敷分として高二〇石余を分地、同二〇年には村内依田橋付近の住人を付けて高八一五石余を割き、依田橋村として分村したといわれる。これらの施策は伝馬役負担村を確保するためであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報