改訂新版 世界大百科事典 「吉田一調」の意味・わかりやすい解説
吉田一調 (よしだいっちょう)
生没年:1812-81(文化9-明治14)
琴古流尺八家。本名耕三。別号清風軒。旗本の家に生まれ,少年期から尺八を好み,15歳で普化宗両本寺(一月寺,鈴法寺)の吹合(ふきあわせ)(尺八指南役)の正田梅月に入門。18歳からは当時の琴古流の代表的存在だった久松風陽(1791?-1871?)に師事して腕を上げ,のち両本寺の吹合になり,〈東武尺八長者〉と呼ばれる名手となった。師の風陽は琴古流の後事を一調と弟弟子の2世荒木古童の両名に託して没したといわれるが,1871年(明治4)普化宗が廃止され,併せて尺八吹奏も禁止されかねない状況にいたる。この危機に当たり一調は古童と協力して,尺八の楽器としての存続を政府に請願し,努力が奏効して認可を得ることに成功し,以後の尺八楽の興隆,すなわち一般普及への道を開いた。これが一調の最大の功績であるが,文筆や書にも優れ,尺八本曲の譜本《法器尺八曲譜》を書き残したほかに,《道の記》《竹弟子に与ふる書》《尺八本曲と外曲の弁》など多くの重要な手記を残している。
執筆者:上参郷 祐康
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報