吉田三郎(読み)ヨシダ サブロウ

20世紀日本人名事典 「吉田三郎」の解説

吉田 三郎
ヨシダ サブロウ

明治〜昭和期の彫刻家



生年
明治22(1889)年5月25日

没年
昭和37(1962)年3月16日

出生地
石川金沢

学歴〔年〕
東京美術学校彫刻科〔明治45年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本芸術院賞(第5回・昭24年度)「男立像」

経歴
明治43年第4回文展に「たちんぼ」が初入選。大正7年第12回文展に「潭」、8年第1回帝展に「老坑夫」がそれぞれ特選。帝展、文展、日展の審査員を務め、12年白日会を結成。昭和10年多摩美術学校彫刻科主任教授。29年アジア芸術オリンピック日本代表。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉田三郎」の意味・わかりやすい解説

吉田三郎
よしださぶろう
(1889―1962)

彫刻家。石川県金沢市に生まれる。1907年(明治40)石川県金沢工芸学校卒業。10年第4回文展に初入選。12年東京美術学校彫刻科卒業。18年(大正7)第12回文展で特選となり、22年以来帝展で審査員を歴任した。31年(昭和6)文部省留学生として欧米巡遊、35年から多摩美術学校教授を務め、48年(昭和23)第4回日展で『潮騒(しおざい)』が文部省買上げとなる。50年日展参事となり、55年には日本芸術院会員に推された。東京教育大学でも後進を指導した。

三木多聞

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉田三郎」の意味・わかりやすい解説

吉田三郎
よしださぶろう

[生]1889.5.25. 石川,金沢
[没]1962.3.16. 東京
彫刻家。 1912年東京美術学校彫刻科卒業。在学中から文展に出品し,第 12回文展で『潭』,翌年第1回帝展で『老坑夫』がともに特選となる。アカデミックでありながら伸びやかな作風が注目され,第4回帝展以来審査員をつとめた。また文部省の命で,フランスイタリア,アメリカへ留学し,以来官展に重きをなし,白日会の中心的存在となった。 49年日本芸術院賞受賞。主要作品は前記ほか『潮騒』など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田三郎」の解説

吉田三郎 よしだ-さぶろう

1889-1962 明治-昭和時代の彫刻家。
明治22年5月25日生まれ。大正7年「潭」が文展特選,翌年「老坑夫」が帝展特選となる。昭和10年多摩帝国美術学校(現多摩美大)教授。25年日展の「男立像」で芸術院賞。30年芸術院会員。男子像に名作がおおい。昭和37年3月16日死去。72歳。石川県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「吉田三郎」の解説

吉田 三郎 (よしだ さぶろう)

生年月日:1889年5月25日
明治時代-昭和時代の彫刻家
1962年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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