吉田三郎(読み)よしださぶろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「吉田三郎」の意味・わかりやすい解説

吉田三郎
よしださぶろう
(1889―1962)

彫刻家石川金沢市に生まれる。1907年(明治40)石川県金沢工芸学校卒業。10年第4回文展に初入選。12年東京美術学校彫刻科卒業。18年(大正7)第12回文展で特選となり、22年以来帝展で審査員を歴任した。31年(昭和6)文部省留学生として欧米巡遊、35年から多摩美術学校教授を務め、48年(昭和23)第4回日展で『潮騒(しおざい)』が文部省買上げとなる。50年日展参事となり、55年には日本芸術院会員に推された。東京教育大学でも後進を指導した。

三木多聞

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「吉田三郎」の意味・わかりやすい解説

吉田三郎
よしださぶろう

[生]1889.5.25. 石川,金沢
[没]1962.3.16. 東京
彫刻家。 1912年東京美術学校彫刻科卒業。在学中から文展に出品し,第 12回文展で『潭』,翌年第1回帝展で『老坑夫』がともに特選となる。アカデミックでありながら伸びやかな作風が注目され,第4回帝展以来審査員をつとめた。また文部省の命で,フランスイタリア,アメリカへ留学し,以来官展に重きをなし,白日会の中心的存在となった。 49年日本芸術院賞受賞。主要作品は前記ほか『潮騒』など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田三郎」の解説

吉田三郎 よしだ-さぶろう

1889-1962 明治-昭和時代の彫刻家。
明治22年5月25日生まれ。大正7年「潭」が文展特選,翌年「老坑夫」が帝展特選となる。昭和10年多摩帝国美術学校(現多摩美大)教授。25年日展の「男立像」で芸術院賞。30年芸術院会員。男子像に名作がおおい。昭和37年3月16日死去。72歳。石川県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。

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