吉田玉五郎(読み)ヨシダ タマゴロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「吉田玉五郎」の解説

吉田 玉五郎(2代目)
ヨシダ タマゴロウ


職業
文楽人形遣い

専門
人形浄瑠璃

本名
山下 政市(ヤマシタ マサイチ)

別名
前名=吉田 小文(2代目),桐竹 紋司

生年月日
明治43年 7月23日

出身地
徳島県

学歴
高小中退

経歴
父は藍の仲買人だったが暴落で失敗、貧苦の中で育つ。父の死後14歳で大阪へ出て、大正14年2代目吉田簑助(2代目桐竹紋十郎)に入門し、2代目吉田小文を名乗る。昭和2年桐竹紋司と改名。24年3代目吉田文五郎の弟子となり、26年2代目吉田玉五郎を襲名。文楽人形遣いの長老格。46年交通事故で、目が不自由となるが、公演を続けた。共著に「文楽 人形の魅力」がある。

受賞
勲五等双光旭日章〔昭和57年〕

没年月日
平成8年 5月13日 (1996年)

伝記
一芸一談文楽―人形の魅力 桂 米朝 著吉田 玉五郎,田結荘 哲治 著(発行元 筑摩書房大阪書籍 ’07’86発行)


吉田 玉五郎(初代)
ヨシダ タマゴロウ


職業
文楽人形遣い

専門
人形浄瑠璃

本名
中村 善吉

経歴
初代吉田玉造の門人。明治6年9月から松嶋文楽座に出、女方を得意とした。

没年月日
大正10年 1月29日 (1921年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「吉田玉五郎」の解説

吉田 玉五郎(2代目)
ヨシダ タマゴロウ

大正〜平成期の文楽人形遣い



生年
明治43(1910)年7月23日

没年
平成8(1996)年5月13日

出身地
徳島県

本名
山下 政市(ヤマシタ マサイチ)

別名
前名=吉田 小文(2代目),桐竹 紋司

学歴〔年〕
高小中退

主な受賞名〔年〕
勲五等双光旭日章〔昭和57年〕

経歴
父は藍の仲買人だったが暴落で失敗、貧苦の中で育つ。父の死後14歳で大阪へ出て、大正14年2代目吉田簑助(2代目桐竹紋十郎)に入門し、2代目吉田小文を名のる。昭和2年桐竹紋司と改名。24年3代目吉田文五郎の弟子となり、26年2代目吉田玉五郎を襲名。文楽人形遣いの長老格。46年交通事故で、目が不自由となるが、公演を続けた。共著に「文楽 人形の魅力」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田玉五郎」の解説

吉田玉五郎(2代) よしだ-たまごろう

1910-1996 大正-平成時代の人形浄瑠璃(じょうるり)の人形遣い。
明治43年7月23日生まれ。大正14年2代吉田簑助(のちの2代桐竹紋十郎)に入門。2代吉田小文,桐竹紋三郎をへて昭和2年桐竹紋司を名のる。24年3代吉田文五郎の門下となり,26年2代玉五郎を襲名。得意は「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」の雛鳥など。重要無形文化財(総合指定)保持者。平成8年5月13日死去。85歳。徳島県出身。本名は山下政市。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「吉田玉五郎」の解説

吉田 玉五郎(2代目) (よしだ たまごろう)

生年月日:1910年7月23日
大正時代-平成時代の人形浄瑠璃の人形遣い
1996年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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