プロ野球選手(内野手:右投右打)、監督。7月26日、京都府生まれ。山城高から立命館大学に進学するが、中退して1953年(昭和28)に大阪タイガース(現、阪神タイガース)に入団、学生時代から評判の高かった守備で1年目から正遊撃手となった。八艘(はっそう)飛びを思わせる軽快な身のこなしで「今牛若丸」とよばれ、「捕球する前にもう投げている」といわれたほどのすばやいスローイングでファンをうならせた。ベストナインに選出されること9回、これは遊撃手のプロ野球記録(2015年時点)であり、吉田のところへ打球が飛んだだけでスタンドが沸いた。打撃は粘り強さが身上で、三振が少なく、1954年の30個が最多で、通算6980打数に対して325三振しかしなかった。1954年と1956年には盗塁王も獲得している。1969年で現役を引退。その背番号23は阪神の永久欠番。1975年から1977年、1985年から1987年、1997年(平成9)から1998年と三度にわたり阪神の監督を務めた。1985年には真弓明信(まゆみあきのぶ)、ランディー・バース、掛布雅之(かけふまさゆき)、岡田彰布(あきのぶ)の4人がホームラン30本以上を打つという強力打線で21年ぶりのリーグ優勝、西武ライオンズ(現、埼玉西武ライオンズ)との日本シリーズも制して日本一となった。なお、1990年にはフランス代表チームの監督を務めた。
[出村義和 2016年9月16日]
選手としての17年間の通算成績は、出場試合2007、安打1864、打率2割6分7厘、本塁打66、打点434、盗塁350。獲得したおもなタイトルは、盗塁王2回、ベストナイン9回。監督としての通算成績(8年)は、1051試合、484勝511敗56分け、勝率4割8分6厘、リーグ優勝1回、日本シリーズ優勝1回。1992年(平成4)野球殿堂(野球殿堂博物館)入り。
[編集部 2016年9月16日]
『川上貴光著『“ムッシュ”になった男――吉田義男パリの1500日』(1997・文芸春秋)』▽『吉田義男著『海を渡った牛若丸』(1994・ベースボール・マガジン社)』
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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