日本歴史地名大系 「吉部八幡宮」の解説 吉部八幡宮きべはちまんぐう 山口県:厚狭郡楠町東吉部村吉部八幡宮[現在地名]楠町大字東吉部東吉部(ひがしきべ)の中心地、旧吉部市(きべいち)の北方山寄りに鎮座。祭神は応神天皇・仲哀天皇・比売大神。旧郷社。「注進案」によれば、寺尾(てらお)八幡宮と記し、弘長元年(一二六一)領主厚東武村の命によって野村大炊助・同左衛門尉が宇佐(うさ)八幡宮(現大分県宇佐市)を勧請したのに始まると伝える。同書は弘長元年八月二二日付の「奉茅葺八幡宮一宇」とある棟札写を載せる。江戸時代は厚狭郡の中心となった神社で、除高三石と祭事米一石三斗四升を得て、神殿・釣屋・拝殿・楼門・釣鐘堂・御輿屋が整い、社坊として神宮(じんぐう)寺があった。 吉部八幡宮きべはちまんぐう 山口県:阿武郡むつみ村吉部村吉部八幡宮[現在地名]むつみ村大字吉部上 岡田牟礼(むれ)山の南麓に鎮座し、祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・多岐理姫命・市杵島姫命・多岐津姫命。旧郷社。社伝によれば延長八年(九三〇)豊前宇佐(うさ)八幡宮(現大分県宇佐市)より吉部の宮(みや)ノ原(はら)に勧請し、吉部全体の氏神として崇敬された。のち現在地に遷祀し、亀尾山八幡宮と称し、とくに牛馬守護の神として崇められたという。「注進案」によれば境内に神殿・釣屋・拝殿・車寄・神楽殿・通夜堂などがあり、社領除高は三石四斗余、祭日は八月一八日、一九日であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by