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名越三昌 なごし さんしょう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

名越三昌 なごし-さんしょう

?-1638 織豊-江戸時代前期の釜(かま)師。
名越善正(ぜんせい)の長男。京都名越家の開祖。慶長19年豊臣秀頼(ひでより)の命をうけ京都方広寺の梵鐘(ぼんしょう)鋳造で鋳物師の棟梁(とうりょう)をつとめ,その功績で越前少掾(えちぜんのしょうじょう)に任じられた。本阿弥光悦(ほんあみ-こうえつ)や小堀遠州(こぼり-えんしゅう)好みの釜を製作。寛永15年8月死去。京都出身。通称は弥右衛門。号は浄味。

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朝日日本歴史人物事典の解説

名越三昌

没年:寛永15(1638)
生年:生年不詳
桃山・江戸初期の釜師。京三条釜座名越善正の長男で,名を弥右衛門,浄味と号したが,後代も浄味を名乗っているので古浄味といわれる。慶長19(1614)年,京都方広寺の大梵鐘を鋳造するのに当たり,総棟梁として弟弥五郎家昌,対馬守国久,飯田助左衛門らを棟梁に,各地から参集した鋳物師たちを統率した。この鐘には,この三昌だけが「冶工京三条釜座名護屋越前少掾藤原三昌」と銘文に記されている。同17年同じ方広寺の風鐸には越前少掾と名乗っていないので,梵鐘鋳造成功により与えられたのであろう。弟家昌が江戸に移り江戸名越家を興したのに対し三昌の家系は京名越家として幕末まで栄えた。釜の作品は『名物釜所持名寄』に四方釜,常張釜,尻張釜,阿弥陀堂釜などが掲載されるが,今日残る確かなものはない。七十余歳で没した。

(原田一敏)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の名越三昌の言及

【名越善正】より

…安土桃山時代~江戸初期の釜師。浄祐の子で名越家の11代。通称弥七郎。織田信長の釜師。天正期(1573‐92)ころ京都三条釜座の鋳物師棟梁として勢力を振るい,天下一を号した。釜の遺品は少ないが,文禄・慶長(1592‐1615)ころ西村道仁とともに京釜の草創を成し,彼以後の名越家の礎を築いた。徳川家康の釜師ともいわれるが定かではない。江戸名越家の作った系図《鋳家系》によれば,名越家は釜師中最古の家系で,初代七郎左衛門は北条義時の次男とされているが信用しがたい。…

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