日本歴史地名大系 「向国安村」の解説
向国安村
むこうくにやすむら
千代川西岸の氾濫原に位置し、
嘉永元年(一八四八)まで一九通の年貢免状(林家文書)が残るが、村高はすべて蔵入となっている。享保九年(一七二四)には生高三九一石余で免は変わらないが、井手東の免二ツの高が二七二石余と著しく増加している。宝暦四年(一七五四)には村高五七三石余・荒高一四一石余・生高四三二石余となり、免は一ツ五分から四ツ五分まで七段階に分けられている。開発が進む一方で水害などによる被害も少なくない。文化八年(一八一一)には村高六一九石余・生高四三九石余、嘉永元年には村高五三八石余・生高四四二石余・物成一二八石余で免は二ツから四ツ五分まで六段階ある(各年の年貢免状)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報