向羽黒山城(読み)むかいはぐろやまじょう

日本の城がわかる事典 「向羽黒山城」の解説

むかいはぐろやまじょう【向羽黒山城】

福島県大沼郡会津美里町(旧会津本郷町)にあった戦国時代の山城(やまじろ)。国指定史跡。会津盆地南方、阿賀野川沿いにある岩崎山(向羽黒山)の山頂から北の山腹にかけての東西1.4km、南北1.5kmを城域とした壮大な城で、多数の曲輪(くるわ)と空堀、虎口を配置していた。会津を本拠地としていた戦国大名の蘆名盛氏が1561年(永禄4)に築城を開始し、1568年(永禄11)に完成した。盛氏は城が完成すると、本城の黒川城(のちの若松城、同県会津若松市)を嫡男の盛興に譲り、向羽黒山城に隠居した。しかし、蘆名家の当主となった盛興は26歳で早逝したため、盛氏が再び当主として復帰。黒川城に居城を移したため廃城となったといわれるが、再び城として復活し、1589年(天正17)の摺上原の戦いで勝利して会津を領有した伊達政宗(まさむね)、翌1590年(天正18)の豊臣秀吉の奥州仕置で会津の領主となった蒲生氏郷(がもううじさと)、その後、越後から会津に国替えとなった上杉景勝などが同城の改修を行っている。しかし、関ヶ原の戦いで西軍に与した上杉氏敗戦にともない、翌1601年(慶長6)、あるいは加藤氏の治世下で一国一城令に基づき廃城になったといわれる。現在、城跡は山頂の本丸を中心に白鳳山公園となっており、本丸、二の丸、三の丸、伝盛氏屋敷跡などの郭跡や竪堀、空堀、虎口、石塁などが残っている。JR只見線会津本郷駅から向羽黒山城跡入口まで徒歩約20分。◇岩崎城、巌館とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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