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岩崎城 いわさきじょう

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日本の城がわかる事典の解説

いわさきじょう【岩崎城〈岩手県〉】

岩手県北上市にあった中世の山城(やまじろ)。夏油(げとう)川の比高20mほどの河岸段丘の上につくられた、当時、北上一帯を支配していた和賀(わが)氏の城である。同市二子(ふたご)町にあった和賀氏の本城二子城(飛勢城)に次ぐ規模をもつ。1590年(天正18)の小田原の役直後に行われた、豊臣秀吉による奥州仕置で和賀氏は改易となり、領地は南部領に編入されることになった。これを不満とする和賀氏の一族郎党は岩崎城に籠もり抵抗したが、南部氏に鎮圧された。その後、和賀氏は関ヶ原の戦いの混乱に乗じて再び蜂起。当主の和賀義忠(よしただ)の弟忠親(ただちか)が旧家臣団を率いて再び岩崎城を奪ったが、関ヶ原の合戦の終息後、平定された。和賀氏のたび重なる抵抗の背後には、秀吉の奥州仕置に不満のあった伊達政宗(だてまさむね)の支援があったといわれている。現在、城跡には城郭を模した岩崎公民館の建物が建っているが、岩崎城を復元したものではない。JR東北本線東北新幹線北上駅から車で約20分。

いわさきじょう【岩崎城〈愛知県〉】

愛知県日進市にあった戦国時代の平山城(ひらやまじろ)。丘の頂上に櫓(やぐら)台のある本丸があり、その北に二の丸、西に西曲輪(くるわ)、東に東曲輪が配置され、それぞれの曲輪の間に空堀が設けられていた。築城年、築城者は不明だが、勝幡城(愛知県愛西市)の城主だった織田信秀(織田信長の父)の時代に、同城の支城であったとする記録がある。1529年(享禄2)、織田信秀に属した荒川頼宗が城将となっていた岩崎城を三河の岡崎城主・松平清康(徳川家康の祖父)が7000人の兵で攻め落とし、松平氏が支配した。しかし、1535年(天文4)に清康が陣中で家臣に暗殺される事件(森山崩れ)が起こると、松平氏の勢力は岩崎城から退去した。代わって、本郷城(日進市)の丹羽氏清が同城に移り住み、以後、丹羽氏が4代にわたって岩崎城主となり、織田信長や徳川家康の時代を生き抜くことになる。1584年(天正12)の豊臣秀吉と徳川家康が戦った小牧・長久手の戦いでは、岩崎城主の丹羽氏次は家康に従い小牧に出陣し、城は弟の氏重が守った。しかし、氏重は岡崎城を奇襲するため南下した池田恒興らと戦って戦死し、岩崎城は落城した。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いでは、氏次は徳川方として参戦、家康から功績を認められ三河国伊保(現愛知県豊田市)1万石の大名として取り立てられた。このとき、岩崎城は廃城となった。その後、丹羽氏は譜代大名として存続し、播磨三草(みくさ)藩主として明治維新をむかえている。現在、城跡は公園として整備され、3層の模擬天守(歴史博物館)が建てられている。この公園を整備するにあたって発掘調査が行われ、さまざまな遺構が発見されたが、保存のため埋め戻されている。しかし、曲輪、空堀、土塁、土橋や井戸跡などの遺構はよく残っている。二の丸跡は現在、庭園(二の丸庭園)が設けられているが、本来は馬出曲輪であった場所である。リニモ(東部丘陵線)の長久手古戦場駅からバス、岩崎御岳口下車。

出典|講談社
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世界大百科事典内の岩崎城の言及

【会津本郷[町]】より

…会津盆地南縁に位置し,阿賀川をはさんで会津若松市に接する。中心集落の本郷は1561年(永禄4)会津藩主蘆名盛氏が弁天山に築いた岩崎城の城下町として栄えたが,75年(天正3)盛氏が再び黒川城(後の会津若松城)に移ったため,岩崎城下は衰退した。1647年(正保4)会津藩主保科正之が瀬戸から陶工を招いて製陶を始めさせたため,陶業の町となり,本郷焼は今日まで継承されている。…

※「岩崎城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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