中国の文芸理論家。本名周起応。湖南(こなん/フーナン)省益陽(えきよう/イーヤン)出身。大夏大学卒業後日本に留学、1930年帰国して左翼作家連盟に参加、前後して共産党に入党。30年代中期にかけて上海(シャンハイ)の党員文学者の中心として活動、35年以降抗日統一戦線を目ざし「国防文学」を唱えたが、魯迅(ろじん/ルーシュン)にそのセクト的作風を厳しく批判された。日中戦開始後、延安(えんあん/イエンアン)に赴き、文化運動の要職を歴任。解放後も党宣伝部副部長として文化分野の政治的責任者の地位にあり、戦後の思想キャンペーンのたびに指導的発言をした。文化大革命で打倒されたが77年名誉回復して、以後、党中央委員、文芸界連合主席、社会科学院顧問等の要職に復帰。79年の第四次文学芸術界代表者大会では、戦後の文芸政策全般について、自己批判を含む総括的報告を行った。
[丸山 昇]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…日中戦争の前夜,中国共産党による抗日民族統一戦線結成の呼びかけにこたえて,上海在住の周揚,夏衍(かえん)ら党員文学者グループにより提起されたスローガン。運動推進の母体として1936年に中国文芸家協会を結成したが,それに先だって,従来の文芸界における統一戦線組織である中国左翼作家聯盟(〈左聯〉)を,ソ連にいた王明(陳紹禹)の指示で解散した。…
…30年の中国左翼作家聯盟(左聯)の成立によって,プロレタリア文学運動はひとまず定着をみせたが,たちまち国民党の過酷な弾圧に遭い,31年には5人の所属作家が銃殺された。左聯は魯迅を事実上の指導者として厳しい後退戦を続けたが,闘いを通じて若い文芸家を数多く育て,そのうち周揚,夏衍(かえん),田漢,陽翰笙(ようかんしよう)などは,人民共和国成立後も長く中国文芸界の指導的地位についた。この間,瞿秋白(くしゆうはく)は,魯迅のかたわらにあって,左翼文芸理論の確立に貢献した。…
※「周揚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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