呼子村(読み)よぶこむら

日本歴史地名大系 「呼子村」の解説

呼子村
よぶこむら

[現在地名]呼子町大字呼子

松浦半島の上場うわば台地北端の陸部が沈降してつくられた名護屋なごや湾に続く呼子の入江に面する村。丘陵が背後に迫っており、江頭えがしら長沙子ながすなこ川)・呼子川高尾たかお川)などの小河川がある。「水路志」に「呼子は前面に加部島を控へ、海水湾入して二港を為す。東は呼子、西は名護屋也」と記す。天然の良港で、古来大陸への渡航港として知られる。

肥前風土記」の登望とも駅(とも駅)は鞆浦ともいい、現在の大友おおとも小友こともをさすという説と、呼子港対岸の殿浦とのうらは鞆浦のなまったものであるという説があり、鞆とは呼子一帯の船泊地をさすものという説もある。康和四年(一一〇二)八月二九日の松浦(源)久の譲状案(石志文書)にある「土毛」とは呼子一帯の地をさすもので、石志氏の所領であった。

佐用姫神社記別記に

<資料は省略されています>

と呼子の地名の由来を記す。別伝には弁天べんてん島の創成に基づき呼子の地名ができたと伝え、この地は相子の浦あいこのうらともいったと伝えている。「続日本紀」の光仁天皇の条に「宝亀七年閏八月庚寅、先ヨリ 遣唐使船肥前国松浦郡合蚕田」とある合蚕田浦は相子の浦のことという説がある。

中国(明)の「図書編」の肥前の項に「雄婆哥」、「東海夷実図」に「鳴子浦」、「籌海図編」に「日本楊哥」「雄哥」「継波哥」とあるのはすべて呼子をさすと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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