和田三郎(読み)ワダ サブロウ

20世紀日本人名事典 「和田三郎」の解説

和田 三郎
ワダ サブロウ

明治・大正期の中国革命援助者 板垣退助秘書;中国革命援助者。



生年
明治5年6月22日(1872年)

没年
大正15(1926)年11月1日

出生地
高知県土佐郡土佐山村西川

学歴〔年〕
明治学院神学部卒

経歴
明治20年高知教会員となり、24年植木枝盛と知り合う。30年土陽新聞(高知新聞の前身)に記者として入社、34年には退社、上京して板垣退助の秘書となり、板垣のゴーストライターとして板垣と行動を共にした。35年から宇田滄溟の後をうけて「自由党史」の執筆に着手。38年孫文が設立した中国革命同盟会に参加、宮崎滔天平山周、それに高知共立学校の同級生だった萱野長知らと共に革命評論社を興し、中国革命党を声援した。44年から板垣の雑誌「社会政策」はじめ、「日本及日本人」「太陽」に論文を発表。著書に「自由党史」(明治43年)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「和田三郎」の解説

和田三郎 わだ-さぶろう

1872-1926 明治-大正時代新聞記者
明治5年6月22日生まれ。明治学院を卒業し,郷里高知県の土陽新聞の記者となる。明治39年宮崎滔天(とうてん),平山周らと「革命評論」の創刊にくわわり,孫文らの中国革命運動を支援した。宇田友猪(ともい)とともに板垣退助監修の「自由党史」を編修,43年刊行。大正15年11月1日死去。55歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「和田三郎」の解説

和田 三郎 (わだ さぶろう)

生年月日:1871年6月22日
明治時代;大正時代の中国革命援助者
1926年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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