平山周(読み)ひらやましゅう

改訂新版 世界大百科事典 「平山周」の意味・わかりやすい解説

平山周 (ひらやましゅう)
生没年:1870-1940(明治3-昭和15)

福岡県の人。号は二楸庵,万里。友人宮崎虎蔵(滔天)の意見に賛同し,中国革命事業に献身した。1897年の孫文滞日の際には,平山雇人名目当局の許可を得たのであり,恵州蜂起から第三革命まで,陰に陽に革命派を助けた。1931年,国民政府は陸海空軍総司令部顧問に任じてその功に報いた。革命援助のための秘密結社調査がのち1911年に《支那革命党及秘密結社》と題して公表されたが,この方面功績も忘れることはできない。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平山周」の解説

平山周 ひらやま-しゅう

1870-1940 明治-昭和時代前期の中国革命運動の協力者。
明治3年生まれ。30年外務省派遣の形で清(しん)(中国)にわたり,秘密結社を調査。同年平山の語学教師の名目で孫文の滞日許可をえた。以後,中国革命支援に活躍。昭和15年死去。71歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。東洋英和学校卒。号は二楸庵,万里。著作に「支那革命党及秘密結社」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例