唐桑村(読み)からくわむら

日本歴史地名大系 「唐桑村」の解説

唐桑村
からくわむら

[現在地名]唐桑町 崎浜さきはま津本つもと神の倉かんのくら松圃まつばたけ中井なかい欠浜かけはま上小鯖かみこさば小長根こながね小鯖こさばなか北中きたなか馬場ばば上鮪立かみしびたち鮪立しびたち宿浦しゆくうらうら東舞根ひがしもうね西舞根にしもうね明戸あけど高石浜たかいしはま石浜いしはまさかい唯越ただこし

唐桑半島の基部から先端までを占め、「封内風土記」によれば、鮪立浜しびたちはま・宿浜・石浜・舞根浜・馬場浜・滝浜たきはま津本浜つもとはま只越浜ただこしはまよりなる。北は小原木こはらぎ村へ続き、三方は海である。気仙沼けせんぬま本郷の一部をなしていたが、寛永一九年(一六四二)検地に際し、気仙七ヵ村の一つとして独立したという(「本吉郡絵図附録」馬場家文書)往古諏訪すわ庄とよばれ(新撰陸奥風土記)、平泉滅亡後に気仙沼赤岩あかいわ城主熊谷氏の支配地となる。建武三年(一三三六)熊谷氏は葛西氏に敗れ、応永二四年(一四一七)熊谷直致は葛西満信より采地を唐桑村に安堵される(熊谷系譜「唐桑町史」所収)永享年間(一四二九―四一)頃から阿部氏が代々きた(現宿浦八雲神社裏)とその出城であるみなみ(現宿浦庵ノ沢)に居住して当村を知行。先祖阿部休信は正慶二年(一三三三)龍巌りゆうがん寺を建立している(観蹟聞老志)。阿部氏はまた唐桑氏とも称し、「聞老遺事」には永享の頃「唐鍬崎四郎ナル者我梟勇ヲ持チテ郡中ニ抜扈シ、其ノ主君ヲ蔑視シ、自ラ居城ヲ構ヘテ恣ニ威ヲ振フ」とある。また北館城主阿部久信は平泉中尊ちゆうそん寺を訪れ、「当州気仙郡唐桑左馬允平久信、西国三十三所順礼四人、永正十三八月」の巡礼札を奉納している(阿部氏代々控「唐桑町史」所収、「仙台領古城書上」)。天正元年(一五七三)から同八年にかけて小原木村朝日あさひ館城主星氏と私闘を繰返し、阿部四郎左衛門頼時は討死じんヶ森はこの時阿部氏が陣取った場所、集根もろね山は軍兵がより集まった所と伝える。頼時の子重時は、葛西大崎一揆に際し葛西晴信豊臣秀吉の将木村晴久と桃生ものう中津山神取なかつやまかんどり(現桃生町)に戦った時、晴信の軍に本吉唐桑城主阿部左衛門尉重時と名を連ねている(葛西大崎盛衰記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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