善師野村(読み)ぜんじのむら

日本歴史地名大系 「善師野村」の解説

善師野村
ぜんじのむら

[現在地名]犬山市善師野

北は栗栖くりす村と美濃国可児かに郡、西は継鹿尾つがお村、南は塔之地とうのじ村、東は美濃国可児郡に接する。東西に善師野川(郷瀬川)が流れ、川を挟み田畑が、山沿いには居屋敷がある。南北には木曾街道が通り、この街道に面して善師野宿がある(天保村絵図)。高九四一石余は成瀬隼人正采地。田四二町七反余・畑二〇町八反九畝余。ほかに高五石余の新田(畑四反五畝余)。寛文一一年(一六七一)の戸数一〇三、人数六二九、馬数四四(寛文覚書)。「徇行記」によれば馬数は二六と減少し、宿駅をもつ当村の貧困化・伝馬制衰退をうかがわせる。また同書は「駅亭ナレトモマタチタル旅舎モナク貧村ナリ」と記す。

土田どた街道(善師野街道)のうち一千三〇六間の道作り人足および木曾産出の柾目板・檜皮の伝馬、御巣鷹持人足提供の課役のほか、柳・枯草代銀や問屋役として年二分の上納などがあった。このほか夫銀、鷹犬の代米は規定どおりであったが、堤銀は伝馬役を勤めるために免除された。

善師野村
ぜんじのむら

[現在地名]可児市東帷子ひがしかたびら

古瀬こせ村の西、中切なかぎり川上流部にある。可児郡の南西端、尾張国との国境に位置する。帷子七郷の一。尾張善師野村(現愛知県犬山市)の出作が始まりと伝え、美濃田みのだともいう。檀那寺も尾張善師野の福昌ふくしよう寺である。慶長郷帳に「ぜんし野」とみえ、高七三石余。慶長一七年(一六一二)以降尾張藩領。正保郷帳によると田一八石余・畑三九石余・山年貢二斗余、小松山がある。明暦覚書によれば概高四二石余。人数一七、馬一。伏見ふしみ宿(現可児郡御嵩町)への助郷高五九石(元禄七年「伏見宿・太田宿助郷帳」奥村文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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