善珠(読み)ぜんしゅ

改訂新版 世界大百科事典 「善珠」の意味・わかりやすい解説

善珠 (ぜんしゅ)
生没年:723-797(養老7-延暦16)

法相宗の学僧大和国出身で俗姓は跡連(あるいは宿禰)。玄昉門下で,法相・因明にことに精通した。その学風は《法苑義鏡》《唯識論了義灯増明記》等の著作から知られるが,唐の玄奘や基の学系を継ぎ,唯識論を中心に五性各別・一権三実といった人間の差別相を重視した。さらに,対立する法相教説異端派に対しては精緻な批判を加え,日本正統法相教学の基盤を築いた。この間,780年(宝亀11)には光仁天皇の勅願によって大和国に秋篠寺(あきしのでら)を開き,延暦寺文殊堂・中堂供養に常達・大導師を務め,796年(延暦15。782年とも)僧正に任じられた。《日本霊異記》には桓武天皇皇子に生まれ変わり嵯峨天皇となったという話が見え,その声望がうかがわれる。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「善珠」の解説

善珠 ぜんじゅ

723-797 奈良-平安時代前期の僧。
養老7年生まれ。法相(ほっそう)宗。奈良興福寺の玄昉(げんぼう)にまなぶ。宝亀(ほうき)11年(780)光仁(こうにん)天皇の勅願により秋篠(あきしの)寺をひらく。また最澄にまねかれて比叡山(ひえいざん)根本中堂落慶供養の導師をつとめた。延暦(えんりゃく)16年4月21日死去。75歳。大和(奈良県)出身。俗姓は阿刀(跡,安都とも)。通称は秋篠僧正。著作に「因明入正(いんみょうにっしょう)理論疏(しょ)明灯鈔」「唯識義灯増明記」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の善珠の言及

【秋篠寺】より

…もと内経寺といわれたが,秋篠の地にあり,秋篠寺と称せられるに至った。後世,秋篠寺の善珠といわれた興福寺の名僧善珠を開山とする。780年に寺封100戸,798年(延暦17)に大和国公田24町が施入され,812年(弘仁3)3月に引き続いて100戸が寄せられるなど,光仁・桓武・嵯峨3帝の帰依をうけた。…

※「善珠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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