サンスクリット語ヘートゥ・ビディヤーhetu-vidyāの漢訳。ヘートゥ(因)は論証の根拠となる名辞(三段論法に当てはめればその媒名辞)のこと。明とは学問の意。インド、とくに仏教の論理学を意味する。正理学(しょうりがく)(ニヤーヤnyāya)と同義である。もっとも因明は推理論、推論式のほかに、知覚の研究である認識論および論争方法と学説の論証である弁証論をも含むから、今日では(仏教)知識論あるいは認識論、論理学とよばれている。インドでは医学書である『チャラカ・サンヒター』、龍樹(りゅうじゅ)(ナーガールジュナ)に帰せられている『方便心論(ほうべんしんろん)』などに因明の先駆的理論がみられるが、2~3世紀ころにニヤーヤ学派が『ニヤーヤ・スートラ』を編集し、伝統理論を体系化した。仏教では世親(せしん)(バスバンドゥ)の『如実論(にょじつろん)』などがある。このころは具体的な喩例(ゆれい)に基づく比論的な推理が行われ、推論式は5段より構成されていた(五支作法(ごしさほう))。その後、陳那(じんな)(ディグナーガ、480―540ころ)が『集量論(じゅりょうろん)』(プラマーナ・サムッチャヤPramāasamuccaya)を著し、直接知覚と推理との二つだけを確実な認識方法と認め、論拠の3条件、唯名論的な概念論(アポーハapoha)、主張、理由、喩例の3段の論証(三支(さんし)作法)などを展開して因明を改革した。これを新因明とよび、それ以前のものを古因明という。しかし陳那になお残存していた比論的性格を払拭(ふっしょく)し、確実な論拠は同一性、因果性、非認識という3原理以外にないことを確立し、大前提、小前提、結論という3段の推論式を主張して、仏教論理学を大成したのは法称(ほっしょう)(ダルマキールティ、600―660ころ)であった。彼の認識論、論理学は多くの註釈(ちゅうしゃく)家によって祖述され、インドおよびチベットの仏教のなかに大きな伝統を形成しただけでなく、仏教以外のインド哲学諸派に大きな影響を与えた。法称の推論式においても大前提を例証する具体的な喩例はもはや補助的な役割しかもっていなかったが、11世紀のラトナーカラシャーンティは喩例を無用なものとして除き、大前提は二つの概念の外延だけによって決定されるという内遍充論(ないへんじゅうろん)を主張した。11~12世紀のモークシャーカラグプタの『論理のことば』(タルカバーシャーTarkabhāsā)は仏教知識論の手ごろな綱要書である。中国には陳那の『因明正理門論(いんみょうしょうりもんろん)』とその弟子シャンカラスバーミンの『因明入正理論(いんみょうにっしょうりろん)』が翻訳されただけで、法称以後の仏教知識論の本流はついに伝わらなかった。
[梶山雄一]
『三枝充悳編『講座仏教思想2 認識論・論理学』(1974・理想社)』▽『梶山雄一著『仏教における存在と知識』(1983・紀伊國屋書店)』
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[インド]
インドの論理学は西洋論理学とは無関係に独自につくりあげられた。論理学はインドではすべての学派に共通して正理(しようり)(ニヤーヤnyāya)と呼ばれるが,仏教徒の間では特に因明(いんみよう)(サンスクリットではhetu‐vidyā)と呼ばれる。インド論理学は2世紀に,非仏教的学派である正理学派(ニヤーヤ学派)の手によって成立し,仏教徒もこの論理学を受け入れた。…
※「因明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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