嘉例川村(読み)かれいがわむら

日本歴史地名大系 「嘉例川村」の解説

嘉例川村
かれいがわむら

[現在地名]隼人町嘉例川

日当山ひなたやま西光寺さいこうじ村の山間部にあり、中央を嘉例川、東端金山きんざん(現天降川)が小さく蛇行しながら南へ流れる。村名は地元では「かれがわ」ともよばれる。加礼河、佳例川とも記され、中世には小河おがわ院の加礼河と区別するため、西加礼川・西加礼河などと記された。西加礼川は、嘉暦四年(一三二九)一月二五日の比丘尼蓮念譲状(旧記雑録)から、「さいのかれいかわ」とよまれていたことがわかる。

建治二年(一二七六)八月日の石築地役配符写(調所氏家譜)に小神用四町四反のうちとして「加礼河七段内七寸」とあり、二段半が弥勒寺執当慶弁、二段半が修理執行兼禅の知行であった。いずれも正八幡宮(現鹿児島神宮)に関係のある人物である。弘安五年(一二八二)正月日の名主覚順処分帳(旧記雑録)によれば、最勝さいしよう寺新阿弥(陀脱か)堂領として西加礼川がみえる。西加礼川は上村下村に分れ、下村のうちに辺木山ひようきやま村があった。下村の大部分は覚順の嫡女長寿に、下村のうち辺木山村は伊王に譲与された。上村は惣領鬼次郎丸に譲られたのであろう。下村には郡本年貢分として御佃米・年貢雑物代銭・桑代絹、宮寺年貢分として修正餅・懸餅・カラム餅・毎年僧供六ヵ月・国絹・四丈布・苧・凡供米・大念仏温木・凡絹・放生会時鹿皮・阿弥陀堂修理など多くの年貢・公事が賦課されていた。


嘉例川村
かれがわむら

[現在地名]桑名市嘉例川・野田のだ大山田おおやまだ

現桑名市の西部にあり、大仲おおなか新田の東北に位置する丘陵地。当村中央を嘉例川が流れる。中世の嘉例城跡があり、中江小市郎の居城と伝えられるが不詳。員弁いなべ郡に属するが、「三国地志」では桑名郡に属し、旧名清水しみず新田で、播磨はりま新田支郷としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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