日本歴史地名大系 「四王院跡」の解説
四王院跡
しのういんあと
九院の一つで大講堂の西にあった。現存しない。勅により別当大師光定が仁寿四年(八五四)に建立したと「天台座主記」にあるが、「叡岳要記」「九院仏閣抄」にはすでに承和五年(八三八)に光定内供奉が願主となり、京都東寺の実恵律師を呪願師、奈良薬師寺の大僧都豊安を導師として四王院供養が盛大に行われたことが記される。本尊の四天王像は金銅製で高さ六尺五寸とされ、文徳天皇が鎮護国家のために弘願を発して鋳造させたものと伝える。天安二年(八五八)三月には太政官牒により毎年美濃国より供料が下賜されることになり、同年八月には座主円仁を検校となし、翌三年一月には勅により七禅師を定めるとの官符が下され、さらに元慶二年(八七八)五月一五日には勅して美濃国より毎年仏僧供料が送られることとなっている(三代実録)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報