四町村(読み)しちようむら

日本歴史地名大系 「四町村」の解説

四町村
しちようむら

[現在地名]羽咋市四町

円井つむらい村の南、邑知おうち平野中央部の平地に立地。永正五年(一五〇八)二月日の友永職段米注文(気多大宮司家文書)に年貢負担者として「四丁ゑいさん」とみえる。大永六年(一五二六)一〇月写の気多社年貢米銭納帳(気多神社文書)には同じく当地居住の又三郎、享禄四年(一五三一)七月の一宮惣分目帳案(気多大宮司家文書)には永三がみえる。永三は戦国期を通じての有力百姓で、能登支配をめぐる合戦では長連竜と対した温井方につき、天正八年(一五八〇)六月一日温井景隆・三宅長盛から「四町」の内で二〇俵の地を宛行われている(「温井景隆・三宅長盛連署書状」四町村文書)


四町村
しちようむら

[現在地名]鹿北町四丁しちよう

たけノ山の東に位置し、村央付近を岩野いわの川が南流、北は椎持しいもち村・岩野村、東は多久たく村、南は小坂おさか(現山鹿市)と接する。慶長九年(一六〇四)九月の検地帳によると田二五町四反三畝余・畠屋敷二八町二反余、屋敷筆数一九、分米五一五石一斗余。近世山鹿やまが山鹿手永に属する。元禄国絵図に「四町村之内柏木村」を載せる。「国誌」には「東野村道原村山下村桑津留村曲木村等小村アリ」とあり、百姓番の御口屋番所があった。文政九年(一八二六)の山鹿手永書付では家数一二七・人数五三二、馬八一、馬口労一、屋根葺一、地筒七がいる。


四町村
よまちむら

[現在地名]君津市大戸見おおとみ

谷向たにむかい村の東、小櫃おびつ川右岸にある。寛文四年(一六六四)の土屋利直領知目録(寛文朱印留)に村名がみえ、久留里藩領。以降の領主変遷向郷むかいごう村に同じと考えられる。元禄郷帳では高五七石余、天保郷帳では高八〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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